【感想】東京タクシードライバー(山田清機)
ミヒャエル・エンデの『モモ』には、時間貯蓄と称して人々から時間を奪う灰色の男たちが登場する。
私は『モモ』を読んだことがないけれど、経済的利益のために時間を犠牲にする現代社会への批判だという話はよく見かけるし、理解もできる。
『モモ』が上梓されたのは1970年代で、それから40年以上経った現代社会へも十分通用するテーマだろう。
時間を犠牲にする、何よりも急ぐことが要求されるというのは、タクシードライバーが顧客に求められることでもある。
乗り合わせた客が急いでいる場合は、遠回りするだけで叱責されるし、道順を確認するだけで罵られ、「お前はこの仕事に向いていない」と言い捨てられるのだそうだ。
『東京タクシードライバー』は、13人の運転手へのインタビューを織り込んだドキュメントだ。
この急いた顧客から浴びせられる罵倒のエピソードは、本書の中にも度々登場し、明確な恐怖を感じている運転手も登場する。
それでも正確かつ迅速な運転が求められているからと、耐え抜いて運転し、客が降りたあとに見えないところで、ハンドルに顔を埋めて涙を流す。
運転手としての痛烈な洗礼のようなものなのだろう。
ところが、10の章立てがされた本書の、インタビューとしての最後の章、「平成世間師」には、昭和の中頃ではまず乗り合わせた客に道を確認するのが当然だった、という一節が登場する。
現代の東京を走るドライバーが直面する洗礼は、昭和後期から平成に掛けて、時間に追われ余裕がなくなった客が勝手に要求してきたものだったらしい。
だったら向いてないと言われる筋合いもないんじゃないかと思い、妙に頭に残ってしまった。
『東京タクシードライバー』は現代社会のタクシードライバーに焦点を当てている。
古本屋で購入した文庫本だったが、単行本は2014年刊行なので、少なくともタクシーに関しては、それほど世相は変わっていないだろう。
運転手たちはどの人もそれぞれのエピソードを持っており、タクシードライバーという職業から、すぐには想像も出来ないような経歴の持ち主も多かった。
あとがきによると、このドキュメントは作者が初めて自分の書きたいことを追求したものであったという。
その書き出しに至るまでのエピソードを含め、現代社会への違和感が作者の原動力になっていた。
その原動力は明文化されていない。だからなのか、何らかの社会的な主張は前面には出ていない。
まず読み物として完成されていた。
明文化されない原動力は、そのまま読み進める牽引力に変化していたように思われる。
平成の次の元号は明日発表され、ひと月後には平成が終わりを迎える。
時間に逼迫される生活になったのは明らかし、これから先もその生活はすぐには変わらないのだろう。
今後破綻して大きく切り替わるかもしれないし、そのまま沈むのかも知れない。
いずれにしろ世の中は連綿と続き、日々誰かがどこかへ向かっている。
タクシーに乗るときとは違い、自分の終着地点を伝えられる人はいないし、寝ている間に最短距離を走ってくれたりもしない。
自分で見て、決めて、進んでいく。そんな日々を送りたいものだと、この春先に思うのでした。