雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

まどろみに飲み込まれながら書き記す陳腐についてのささやかな呟き

 事柄を逐一綴る文章が悍ましく感じられる。必要であると思って書いたはずなのだが読み返してみると必要ではない。必要であるにしてもそんなものを書くのはどうだろう。描いた傍から陳腐になって瓦解する。

 事柄を説明することは多分に自己満足だ。説明したところで相手に何も与えはしない。知識を与えたとて、その知識が自分の虚構であるなら何の意味があるだろう。

 説明することに意味はなく、説明におきかわる別の何かを書かなければ腐っていく一方だ、と思う。

 腐るとは、嫌気がさすという意味で使っている。

 見ていたくなくなる文章は総じて陳腐なものだ。まだこのあたりをうまく言葉にできない。作り上げたものを説明するときの文章ほど陳腐なものはない。それは独りよがりで傲慢で人の目など気にすることなく世界が自分の中にだけあればいいと思っている人の文章だ。文字は他人無くして存在はしない。言葉は人に伝えるべくして生まれたのに、自分だけで完結すれば満足と言うのはすべて傲慢で、欺瞞に満ちた綺麗事だ。人は綺麗になどできていないし、綺麗にあろうとする人の文章は逆説的に陳腐となる。陳腐とはうまく名付けたものだとふと気づく。