【同人誌感想文】ケーキを切れるごみくずども(大滝のぐれ フジイ)
大滝のぐれさん、フジイさん共作の「ケーキの切れるごみくずども」
副題は『ボーダー/ライン』テーマアンソロジーということで、小説・散文・詩、収録作のそれぞれが「境界線」を描いています。
人と人とを隔離したり、それらが混じりあったりする。そのきっかけにはどこかしら「暴力」や「死」の影があるように思いました。
収録作からいくつか取り上げます。
私が小説書きなので、どうしても読みやすいのが小説が取り上げやすいのですが、まずは詩『破線』(フジイさん)から。
おそらくですが、ある日の午前四時に、誰かの身に起きている出来事を俯瞰的に描いているのでしょう。
それはまだ眠っている時刻だったり、起き続けてしまった時刻であったり、すでに次の出来事へ向けて動き出している時刻だったりする。
午前四時とあるから、おそらく基準時を同じくする国の出来事なのだろうけど、それでもどれもあり得る出来事。異なる人生、異なる人なら、早朝という時刻の迎え方も変わってくる。
どうしようもなく違う人々は、それでも平等に四時を迎える。一分前はもう戻らない。すぐに一分後がやってくる。
輪切りにされた世界の広がりには、人の視点を超えた楽しさを感じます。
『ホーム・スイート・ホーム』(大滝さん)
「あなた」と語りかける「私」。二人称小説という、珍しい表現をとりつつも、面白いのは「あなた」が感じている出来事を「私」も知覚しているということ。
「あなた」と「私」の境目は曖昧で、その「あなた」の存在も、摂取するものによって姿形が変わっていく。
それはまるで「私」の意のままの被造物であるかのよう。
監禁されているという状況は肉体的な暴力ですが、意のままにしてしまうのは精神的な暴力と言えるでしょうね。
これは小説を含めた創作者のメタファーとも読み取れるし、最後の展開をみると終わりのない暴力の連鎖を描いているようにも思えます。
見ている人と見られている人。操る人と従う人。同等の人間なんていないのだから、人は常にどちらかになりうるし、その境界は実は曖昧なのかもしれない。
「たつみ」(フジイさん)は夢と現実の境界を描きます。
夢は無意識に見るものですが、それが記憶に依るものだと考えると、記憶に残っているかどうかが重要になってくる。残っていないものは、忘れるし、浮上することもない。
記憶として想起されるものに水や生命が満ちているのに対し、無職の内海を取り巻く日常が潰れた店やアンティークに囲まれているのは、どうも意図的な気がします。
日常の描写では、特に風と枯れ葉の描写が好きでした。
木から落ちた葉は、葉脈を絶たれたわけですから、死にゆく存在です。
その吹き荒れる様が過去へと繋がる。現在と過去、生と死の境目の揺らぎを情景で描く。綺麗だなあ。
最後の最後、夢を書き留める内海は自分の好きなストーリーラインを描けるのに、敢えて修飾を避けているあたり、彼の誠実さが伝わってきて好きでした。
『ゾーンディフェンス』(大滝さん)は、バスケ用語で、「自サイドの定められたゾーンをカバーする」ディフェンスのこと。
さらに距離を保つ=自分の領分を守るという意味合いも兼ねているのだと思います。
社会的危機の原因が地底人だと、徹底的に戯画化しているのがいいですね。
最も一年前の自分だったら、「地底人」も「新型ウイルス」も同等のレベルで戯画化だと感じていたかもしれません。
暴力性でボーダーを飛び越えるという主題は、コロナ禍の現状を見ると散見されますし、なおのこと笑えない。
あまりメタ的な意味合いに寄りすぎると作品の解説から逸れるので苦手なのですが、現状への問題提起としても読める良い作品だと思います。
改めて、『ボーダー/ライン』は、人と人との違いを浮き彫りにしますが、それがあるからこそ社会が成り立っているとも言える。
等分すること自体の暴力性を端的に伝えるタイトルもまた良いですね。
【同人小説感想文】春、きみの指が燃えていたこと(幅 観月)
テキレボEXで買った小説同人誌『春、きみの指が燃えていたこと』(幅観月さん)の感想文です。
購入した理由はタイトルに惹かれたからです。
表題作を含め、収録されているのは7つのお話。
掌編と言える3ページほどのものもあれば、30ページ程度の比較的長めの物語もある。
ほとんどのお話は独立しています。
掌編の方では、あるひとつの印象的な場面が、前でも後ろでもなく全体的に、膨らみを持っていくような感じを受けました。
例えば最初に収録されている「かからない魚」は、喫茶店で人待ちをしている人物を描いています。これも全3ページです。
座っているソファや、お店の雰囲気から始まり、「きみの趣味は石に顔をかくことだった。」の一文から、待ち合わせをしている「きみ」と呼ばれる人物が描かれる。
「きみ」にまつわるお話、先に上げた「石」の話を通して、人待ちをしている人物が苛立ち以外の感情を持っていることが見えてくる。
状況も情景も変わっていないのに、エピソードによって印象が変わっていく。たった一瞬でも、その切り取り方によって膨らみが生まれ、想像が広がっていきます。
続くお話は表題作「春、きみの指が燃えていたこと」。
プールのある屋上施設で永という女性と落ち合っていた「僕」にとって、永は自分にぴったりとは重ならない人物なのだと思います。
様子を伺うような態度。一歩引いた視線。距離感を持つ接し方をしていた彼が、夢の中で燃える炎と出会す。燃え盛るそれは危ないもののはずなのに、なぜか恐怖は感じない。
ただ目を惹きつけるものとして、「僕」にとってその炎は永と似たものだったのかもしれません。
抑制の効いた語り口が、時折、特に炎を想起するときに揺らぐ。「僕」と異なるもの、燃え盛るそれが、熱を帯びる日は来るのだろうか。
自分と他人の違い、あるいは共通点に心が揺れる。
全部ではないですが、敢えてテーマとして挙げるならこの違いや共通点への想いがあるように思います。
その揺れ方も、単なる羨望とはいかず、恐れや苛立ちを持つ。
それでも人と人とが交わる以上は避けて通れない。
通し読みして抱いた心地は穏やかなもので、でもそれだけで終わらない疼きがある。
準えていえば炎でしょうか。
胸の奥、気づかない程度の窪みに潜み、音もなく燃えている。
良い本でした。