雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【文フリ感想文】多様な文藝に触れながら――『棕櫚 第5号』(マルカフェ文藝部)

 何度か足を運んでおります、マルカフェ文藝部。

 マルカフェっていうのは、東急池上線御嶽山駅からほど近いところにある「大人のための週末カフェ」。時間に余裕があればまた行きたい、なんて思いつつ結局僕はまだ一度しか行ったことがない。それなのにどうやら店主さん方に顔を覚えてもらえているようで、おそれいります。ありがとうございます。

 

 なんで通うようになったのか、あんまり憶えていないのですが、なんとなく集まって創作活動しているっていうのに惹かれたんだと思います。自分はそういう活動をずっと一人で行ってきたものですから、興味が湧いたわけですね。

 マルカフェの傾向が自分にぴったり来ているかというと、実は素直には首肯できない。でも読んではみたい。総合文芸誌という触れ込みのとおり、多種多様な創作活動があるってことに気づかせてくれるアンソロジー。それが『棕櫚』ですね。改めて、第5号発行おめでとうございます。

 マルカフェについての説明はこちらのホームページにもありますよ。

 

 内容について軽めに。

 今回の自分のお気に入りは小説『スパイス』(石川友助/挿絵・Kazu Tabu)と、随筆『Resurface-d』(Kazu Tabu)です。

 『スパイス』はシュールな舞台設定がまず魅力的で、何が起こっているのか読み込むとどんどんこの村の世界観に引込まれてしまう。そんな振り回される感覚がまた楽しかったです。

 『Resurface-d』は、自分が随筆好きというのが大きいのかなと。人の考え方を見たり聞いたりする。自分以外の経験を知って、プラスになったり、あるいはもっと別の方向を見てみたくなったりする。そういう意味ではこちらの随筆、決して穏やかな話ではないけれど興味深く読ませていただきました。

c.bunfree.net

【感想文】命を賭して戦うということ――『聖の青春』(映画)

なんとなくまだ胸の内がざわついていた。不調というか、不安定というか、このまま仕事の日を迎えるのも憂鬱。気を落ち着けようと東京へ向かった。

 目的は往路で考えた。

 電車に揺られながら映画を調べて、『この世界の片隅に』と『聖の青春』で迷って、結局後者にした。

 

 映画の内容は事前に知っていた。

 二十九歳で夭折した天才棋士村山聖松山ケンイチ)。羽生善治東出昌大)との対局を軸に、彼の最後の数年間の生き様を描く。死を宣告された男が、文字通り命を賭して、戦いに身を投じる。

 決して明るい物語ではない。死にゆく上での覚悟等が主題だろう。そう予想して、下降気味のテンションを張り詰めさせてくれないかな、なんて曖昧な期待を寄せた。

 上映時間を見誤って翻弄され、最終的にはお昼前の銀座での視聴となった。

 

 結果として三回泣いた。以下、ネタバレは気にせず書き進める。

 

 一度目は村山聖が弟子、江川(染谷翔太)に激昂するシーン。戦いに負けて将棋を諦め、第二の人生を歩もうとする江川に対し、村山は「死ぬ気」のないことを喝破する。江川が好青年として描かれているだけに、キツい口調で責められる姿は胸が痛いし、あまり感情的なタイプではなさそうな江川が怒りのボルテージを高めていく様ははっきりと感じ取れた(それはそれで目を見張る演技だったと思う。緊張感が溢れていた)。

 対して、村山の「死ぬ気」は文字通りだ。病気のために死がすぐ傍まで待ち受けている村山にとって、将棋以外に生きる術はない。生きるために指しているのであり、第二の人生など考える隙間もない。江川に対する酷い言葉の羅列は、将棋に対する強すぎる思いの裏返しだ。負けた者は生き残れない。そこで死ぬ。江川に言い聞かせる言葉はまさに村山自身が自分に言い聞かせていることだったのだろう。

 痛々しくて、それでも目が離せなかった。死ぬ気で頑張ったことがどれだけ自分にあっただろう。そんなことを頭の片隅で思って、何も思い浮かばなかった。

 

 二度目は村山と羽生が居酒屋で夢を語り合うシーン。窓の奥で降る雪のスローな動きも相まって、二人が並び座っている姿は浮き世離れして見えた。終着点の見えない夢を楽しげに語らう二人。村山には死が待ち受けているけれど、羽生にとっても、将棋がこれから先の人生から離れることはない、という点では村山と同じだったのだろう。

 将棋の魅力に取り憑かれた時点で二人は同類だ。そして村山にとって、その瞬間こそが最も大切な記憶となる。羽生と並んだ記憶が彼の生きるエンジンとなり、同時に羽生に遅れを取るまいとする想いが彼の病気を悪化させた。彼の夢は活力であるとともに呪縛でもあった。

 悲しい、と偏に断ずるのは良くないだろう。とにかくそれは喉が熱くなるほどの美しいシーンだった。

 

 三度目は最後の対局。こればっかりは、この緊張感だけは、見てもらわないと伝えきれない。

 後で調べたことだけど、この対局については松山ケンイチ東出昌大がお互いに村上聖と羽生善治棋譜を頭にたたき込んで長回しで撮影を行ったそうですね。その意気込みに値する名シーンだったと思います。

 

 あと良かったと思ったのは、村山聖の生活感が出ているところ。気性が荒かったり、将棋以外のことは怠惰だったりと、村山の人間臭い一面がしっかりと映されていた。死を前にして聖人のように清らかになるのではなくて、戦う人として臨む姿。すぐ傍にも居そうにも思える。だけどきっと、滅多に出会えないタイプの人だ。

 

 総じて力強い映画だった。見て良かった、と今なら言える。死ぬ気で、とはなかなかできないにしても、もうちょっといろいろ頑張りたい。そう思いながら、映画館を出て早速吉野屋へと駆け込んだ。カルビ丼に玉子と豚汁、美味しかったです。