【感想文】正しいからこそ怖ろしい――『空白の叫び(上)』(貫井徳郎)
久しぶりの貫井徳郎は、奇抜な構成を排した重厚なクライムノベルでした。
まだ上巻しか借りていない状態で感想を書くのは、結論がわからないために不安もあるが、それでも今のところ感じたことを書き置きしておこうと思います。
時代は二〇〇〇年の少年法改正前。パソコンや携帯電話があるため、九十年代後半かと。主人公となるのは三人の中学生。
虐められていた過去を持ち、力こそが全てだと悟ってからは逆転、それでも心の内に得も言われぬ瘴気を纏う久藤。
親の財力に加え、天性の頭脳と美貌を兼ね備え何不自由なく暮しながら、ただ一人愚鈍な幼馴染みの扱いにだけ苦慮していた葛城。
作中で唯一「ぼく」と名前を呼ばれる(思えばこの点だけはトリックものの空気を感じる)、一見気弱で穏やかそうながら鋭い洞察力と自分なりの正義感を持つ神原。
この三人を軸として、第一部では、各々がどのような苦悩を抱き、どうして犯罪をするに至ったかが描かれる。続く第二部では、少年院に送り込まれた彼らが理不尽な暴力に耐え、反発し、時には権謀術数を駆使しながら、やがて接触する。
ハードカバーで若干六〇〇ページと、いつもの僕にしては分量が随分多い。それでも読み進められたのは、濃厚な心理描写と、彼らなりの論理を働かせる展開に目が離せなかったからです。あえて嫌な展開を予想させてくるような書き方もあって、一区切り衝く度に溜息が出る。でも面白い。彼らなりの考え方を丁寧に追っているからこそ、結果として通常と感覚がズレていく。どこで道を間違ったのだろうと、考えている間にも、彼らのズレはどんどん広がっていった。
第二部も、タイトルが「接触」であることからしてその後の展開は十分予想される。でも特に面白かったのは、先に書いたように権謀術数渦巻く少年院内の描写。
教官や同じ境遇の連中に囲まれながら、いかに暴力から逃れるか、どうやって自分の安全を確保するか。そのやりとりはまるで国防を巡る政治家の駆け引きのよう。駆け引きの材料として第一部でも登場した「あれ」が登場したときには驚いた。相変わらず読者に向けての仕込み方が面白い。
頼れるのは自分だけ。仲間を作るには対価がいる。そして矜持を蔑ろにした者、あるいはされた者には容赦のない破壊が待っている。
下巻に向けて、三人ともに気になることは山積みなのだが、分けても気になるのは神原の行く末です。なまじまともに見える分、一番怖い。絶対に間違っているのに考える道筋にさほど違和感がない。親身になって読んでいると思わず納得しそうになる。正義と悪が表裏一体であることを一番に体現している人物だと思う。
【感想文】多数派に飲み込まれないように――『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(梨木香歩)
ノボちゃんは、僕の年頃ってのは、いろんなことを考える力を持ち始め、かつ先入観や偏見少なく(なしに、とは言わなかったな、うん)「考える」ことに取り組み始める貴重な時期で、人生に二度と巡ってきやしない。そういう時期に考えたこと、感じたことをきちんと言葉にして残しておくのはとても意義がある、と答えた。
(中略)
今はあの日のこと、そしてその後分かったこと等、一連の、僕の人生に重大な影響を与えたと確信している出来事を書こうとしている。
コペル、とあだ名される少年。十四歳で一人暮らし。叔父のノボちゃんが面倒を見ると両親は思っていたのだけど、実際にはほぼ手つかずで、コペルはのびのび生活している。
思い出そうとしているのは、ヨモギを摘みにユージンという友達のところに行ったときのことだ。二百ページほどのこの本の中で描かれる全てのことは、その一日の間にコペルがしたこと、考えたこと、です。だけ、とは言わないけれど、日付も場所も全く動きません。
ユージンは優人という本名を持ち、名前のとおり優しい友人で、優しすぎるがために不登校になったらしい。コペルは偏見無く彼に会いに行くけれど、ユージンの家庭の事情には触れないようにさりげなく気を配る。
ヨモギを摘みにユージンの庭に行き、それから幼馴染みで気の強いショウコと会い、それからもう一人、新しい友達数名と出会う。彼らに共通していたのは、どことなく世間離れしているということ。多数派か少数派かといえば少数派。大きい反発こそしないけれど、世の中には不安と不満があるってなんとなくわかっているんでしょうね。
彼らの中にあってコペルくんはいろんなことを考える。冒頭に記述した文章のとおり、彼は今、偏見を持たずに考えられる最後の時を歩いている。考える文章はとても多いし、そのどれもが真摯だ。
コペルの思考を含め、人々の行動にも、名言集とは言わないけれど、思わず目を留めたくなる言葉が時折挟まれる。
そうだ、確かに泣いていたって何にも考え続けられない。今、僕に必要なのは、気持ちをすっきりさせることじゃない。とにかく、「考え続ける」ことなんだ。
「黙っていた方が、何か、プライドが保てる気がするんだ。こんなことに傷ついていない、なんとも思ってないっていう方が、人間の器が大きいような気がするんだ。でも、それは違う。大事なことがとりこぼれていく。人間は傷つきやすくて壊れやすいものだってことが。傷ついていないふりをしているのはかっこいいことでも強いことでもないよ。あんたが踏んでんのは私の足で、痛いんだ、早く外してくれ、って言わなきゃ」
「同じようなことを言ってた女の人がいたよ。『人間としてどう生きるか』というべきところで、『男たるもの』とか、『男の生きる道として』とか言われると、急に目の前でドアが閉められたような気になる、って」
(中略)
「でも、その人はね、ずいぶんたってから、解決策を見出したんだ。それは、今のドアの喩えで言うと、無意識のうちに相手が閉めたドアなら、ノックして入っていこう、意識的に閉められたドアなら、入る必要もないドアなんだ、って思って先を歩こう、っていうようなこと。
梨木香歩さんの小説を今年はいくらか読み進めているのだけれど、いろんなところで多数派に対する少数派を描いているのに気がつく。何も反逆のストーリーというわけでも、あるいは少数派が瓦解する悲しさを描いているわけでもないけれど、多数派にどうしても馴染めない彼ら、彼女らの姿を真っ直ぐに描いている。代表作の『西の魔女が死んだ』はもちろん、エッセイ集『不思議な羅針盤』でもそうだった。偏らずに前を向くようなその姿勢が、僕にとっては読みやすくて、好感が持てますね。