雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【感想文】多数派に飲み込まれないように――『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(梨木香歩)

 

 ノボちゃんは、僕の年頃ってのは、いろんなことを考える力を持ち始め、かつ先入観や偏見少なく(なしに、とは言わなかったな、うん)「考える」ことに取り組み始める貴重な時期で、人生に二度と巡ってきやしない。そういう時期に考えたこと、感じたことをきちんと言葉にして残しておくのはとても意義がある、と答えた。

(中略)

 今はあの日のこと、そしてその後分かったこと等、一連の、僕の人生に重大な影響を与えたと確信している出来事を書こうとしている。

 

 

 コペル、とあだ名される少年。十四歳で一人暮らし。叔父のノボちゃんが面倒を見ると両親は思っていたのだけど、実際にはほぼ手つかずで、コペルはのびのび生活している。

 思い出そうとしているのは、ヨモギを摘みにユージンという友達のところに行ったときのことだ。二百ページほどのこの本の中で描かれる全てのことは、その一日の間にコペルがしたこと、考えたこと、です。だけ、とは言わないけれど、日付も場所も全く動きません。

 

 ユージンは優人という本名を持ち、名前のとおり優しい友人で、優しすぎるがために不登校になったらしい。コペルは偏見無く彼に会いに行くけれど、ユージンの家庭の事情には触れないようにさりげなく気を配る。

 ヨモギを摘みにユージンの庭に行き、それから幼馴染みで気の強いショウコと会い、それからもう一人、新しい友達数名と出会う。彼らに共通していたのは、どことなく世間離れしているということ。多数派か少数派かといえば少数派。大きい反発こそしないけれど、世の中には不安と不満があるってなんとなくわかっているんでしょうね。

 

 彼らの中にあってコペルくんはいろんなことを考える。冒頭に記述した文章のとおり、彼は今、偏見を持たずに考えられる最後の時を歩いている。考える文章はとても多いし、そのどれもが真摯だ。

 コペルの思考を含め、人々の行動にも、名言集とは言わないけれど、思わず目を留めたくなる言葉が時折挟まれる。

 

 そうだ、確かに泣いていたって何にも考え続けられない。今、僕に必要なのは、気持ちをすっきりさせることじゃない。とにかく、「考え続ける」ことなんだ。

 

「黙っていた方が、何か、プライドが保てる気がするんだ。こんなことに傷ついていない、なんとも思ってないっていう方が、人間の器が大きいような気がするんだ。でも、それは違う。大事なことがとりこぼれていく。人間は傷つきやすくて壊れやすいものだってことが。傷ついていないふりをしているのはかっこいいことでも強いことでもないよ。あんたが踏んでんのは私の足で、痛いんだ、早く外してくれ、って言わなきゃ」

 

「同じようなことを言ってた女の人がいたよ。『人間としてどう生きるか』というべきところで、『男たるもの』とか、『男の生きる道として』とか言われると、急に目の前でドアが閉められたような気になる、って」

(中略)

「でも、その人はね、ずいぶんたってから、解決策を見出したんだ。それは、今のドアの喩えで言うと、無意識のうちに相手が閉めたドアなら、ノックして入っていこう、意識的に閉められたドアなら、入る必要もないドアなんだ、って思って先を歩こう、っていうようなこと。

 

 

 梨木香歩さんの小説を今年はいくらか読み進めているのだけれど、いろんなところで多数派に対する少数派を描いているのに気がつく。何も反逆のストーリーというわけでも、あるいは少数派が瓦解する悲しさを描いているわけでもないけれど、多数派にどうしても馴染めない彼ら、彼女らの姿を真っ直ぐに描いている。代表作の『西の魔女が死んだ』はもちろん、エッセイ集『不思議な羅針盤』でもそうだった。偏らずに前を向くようなその姿勢が、僕にとっては読みやすくて、好感が持てますね。