雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【感想】音楽の海岸(村上龍)

村上龍といえば、僕はときどき作品を手に取るのだけど、いつも途中で読むのを止めてしまったり、読み終えてもうまく言葉がまとめられずに放置してしまう。

とはいえいつまでも何も書けないのもつまらないので、せっかく読み切ったことだし何かしら残してみる。

 

『音楽の海岸』は九〇年代の小説で、中上健次に捧げられたとされている。これは七〇年代の対談が元になっているらしいのだが、詳しいことは僕にはわからない。

主人公のケンジは顧客に女を提供するビジネスをしている。顧客からの依頼である人物の抹殺を頼まれ、周辺の女たちなどと会い、情報を集めていく。

 

描写は緻密だけど、場面転換は短文なので、気がついたら別の人と話しているように感じられる。そのあたりが苦手なんだろうなと思いつつ、でもじっくり読んでみると気にならなかった。描写される人間たちに意識を向けると楽しいし、読んでいる自分との違いにくらくらした。時代の違いは関係ないだろう。むしろこの多様な人々は世間の中で増え続けているんじゃないだろうかと考えたりもした。社会の抑圧は多少なりとも減っているし、発表する場も機会も増え続けているわけだから。

 

ケンジは音楽が嫌いである。音楽を知らないわけではなく、知った上で嫌いだという。

 

音楽は誰かに聴かせるためにある。誰かのため。あるいはそう見せかけるために歌があるとして、それを主人公は嫌いだと言っているのだろうか。

ありはしないものをあるかのように見せつけている、この国のいたるところに蔓延る音楽。あるいは言葉。

それを嘆くということさえ、僕にはできないのだけれども。

 

音楽の海岸 (講談社文庫)

音楽の海岸 (講談社文庫)

 

【感想】月曜日の友達(阿部共実)

舞台は中学校。主人公の水谷は、大人と子どもの境目で、周りの変化に焦りつつも目を背ける。何も考えずにいられた時を懐かしみ、今いる場所の窮屈さに嫌気が差して夜の街を走る。

 

学校でも姉 家でも姉。姉に似てないのがそんなに変なのか。

私は月曜日が嫌いだ。

また慣れない中学校の日々が始まるから。友達と遊びも運動もできないから。

姉が家に帰ってくるから。家にすら居場所がない曜日になったから。

私はどうすればいいんだ。

この気持ちをどうすればいいんだ。

中学生になった途端気づいた。この町は窮屈すぎる。道も世界も生活も。

なにひとつ気にせず考えず、動きたい走りたい 飛びたい叫びたい。

血液をめぐらせたい、体熱をあげたい、体と脳と水分を燃やしたい。

どこか。

だれか。

 

夜の学校に侵入した水谷は、校庭でカラフルなボールをしこたまぶちまけている月野と遭遇する。あることに協力するために、水谷は月野と約束を交わす。月曜日の夜に、誰にも言わず、ふたりだけで会うという約束を。

 

 

同級生が急に大人びている中、自分だけがいまだに子どものままでいるような感覚。

焦りや不安、周りへの羨望と、自分への憤り。

覚えがある。もうずっと昔になってしまったけれど、僕も似たような悩みを抱えていた。

長いこと抱えていて、解消したかどうかもわからないうちに、考えないようになっていた。

とても苦しんでいたような気がするのに、今は何も感じなくなった。何の刺激も得ることがなければ、思い返すこともなかったのだろう。

 

中学生の頃の僕は、この気持ちに値する言葉を探し続けて結局見つからなかった。そのまま忘れたことにしてしまったのだ。

思い出すことができた喜びもちろんある。

そしてそれ以上に、こうした気持ちの描かれていることが嬉しい。

 

なぜ私はみんなみたいになれないんだろう。

どうやってみんな大人になったんだろう。

 

月野だけは大人にならないでくれ。

 

時間が絶え間なく流れていくことに、それでも抵抗する姿が、あまりにも瑞々しくて、喉の奥の方が痺れた。

 

 

全2巻。読むことができて良かったです。