雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

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【感想】雨街で残響(転枝)

経緯

この本を選んだことに、深い理由はありませんでした。

このように書き始めると、なんだか嫌な人みたいだから、もうちょっと書いてみる。

たとえば好きな作者だからと言っても、一番最初に作品を手に取ったときにはもちろん、好きになれるかどうかはわからない。

同人文芸イベントではなおさらだ。

僕はイベントのさして熱心なファンでもないし、ほとんど全ての本が、前情報なしに前にある。

前日にさっとカタログの記憶に残った箇所から探すか、当日の気分で目についた本を前に財布の紐を緩めるか。

いずれにしろ、手に取れる本はごくわずかだ。機会を逃せばもう手に入らないと思った方が良い。

 

『雨街で残響』を初めて見かけたのは今年の7月に開催された第7回テキストレボリューションズでした。

僕の前で棚を展開されていて、テキレボ開催地の浅草と舞台が同じであることは読み取れて、テキレボに合わせたのかな? などと思ったりもした。

そのときは僕も出店者で、諸般の事情により手に取らなかった。

次に見かけたのは先日の文学フリマ東京だ。

上巻だけをひとまず買ったが、在庫僅少との報せを訊いて慌てて取り寄せた。

 

僕はこの小説がSF×純文学と謳っていることも、退廃的世界観であることも知らなかった。

見かけたことがあった。それだけが理由だったといえる。

どのような出会い方をするのが正しいとか、そんなものはないと思いつつ、それでも少し申し訳なく今は思う。

 

雨街

『雨街で残響』の「雨街」とは、作中の浅草周辺のことを指す。

現代に近いが、数年前に事故が起き、戦争があり、その名残がようやく薄れ、賑わいを取り戻してきた街だ。

景観を想像する上では現代のとおりでいいのだろうけれど、街の裏側に崩壊があったことは、言葉としても、雰囲気としても重苦しく感じられる。

 

雨とは、戦争ののちに浅草に病理をもたらしたとある現象を指している。その雨に打たれたものは、発疹が起きて死んでしまう可能性を常に孕んでいる。それに加え、性機能が壊れているのか、男性のそれは大概が壊死しているし、女性のそれは滅多に形を成さないか、形となっても人にはならない。

通り魔的に訪れる死に生存を脅かされ、未来に託すことも叶わない。雨は、人が持ちうる希望をあっさりと奪い、それでいて人々を未だ殺さず、街に留めおく。

作中が主人公視点で語られる以上、舞台となるのは街の一部分だけだけど、たとえその視点があちこちに飛び回ったとしても、決して胸が空くことはなかっただろう。

そこは人間の尊厳が奪われた街だった。

 

主人公

主人公はまず戦争で両親を亡くし、次いで姉をとある事件で亡くしている。独りになった彼は後に雨街に暮らす女性に手を引かれ(実際にはこのとき雨に打たれたのだけど)、年の近い三姉妹との共同生活を送った過去があった。

気楽な設定に見えるけれど、内情はある意味で苛烈だった。

家族という、人間が最初に与えられる愛をまず失った主人公は、寄りついた先で、寂しさの埋め合わせとして利用された。

人々が追い求めて止まない愛の空虚さを身をもって知ることとなった。何をするにも醒めている主人公の内情は、モノローグと混じり合って淡々と描き出される。

作中の視点は物語の雰囲気を伝える。主人公が見ている世界はひたすら退廃的で、息苦しくなるほどだった。

 

ところで、この主人公には特殊な能力がある。有り体に言えば強靱な戦闘力なのだけど、その効果はごく一部、かつての事故現場の近くだけに限られている。

人間を越える能力を有する彼の活躍は、決して他の人間には見せられない。ヒトガタという、人間の形をしていながら全く違う存在を蹂躙することが主人公の生業だ。

同業者の少女と、主人公は時折夜を共にする。性機能を持たない彼らにしてみれば、それは決して実を結ばない。人間の真似事だ。そうすることで主人公は自分の内面を埋め合わせするし、おそらくは相手の少女にしてみても同じだったのだろう。

人間の真似をすることや、人らしく振る舞うことで、反射的に自分が人間ではないという認識を刻みつけることになる。

ヒトガタを殺し続けることも、彼らが人間らしく命乞いをするのだから、同じ事だろう。それは人間を殺し続けることと変わらない。自分が人間ではないと心に刻みつける自虐だ。

普通の同僚は発狂して仕事を辞める。得体の知れない連中に利用されることを、受け容れている主人公たちは、失った存在意義を埋め尽くすかのように殺戮を繰り返す。

 

この主人公は壊れていると、割と最後の方まで思っていた。

認識を改めたのは下巻の半ば過ぎとなるか。市販されていないとはいえ、あまりに露骨なネタバレなので詳細は書けない。

それは敵の真実に気づき、主人公が初めて自分の意志で問いを発した場面だ。

この主人公は壊れてなどいなかった。彼はただ、人間としての自分自身を、過去に自分を残してきただけだったのだろう。

 

武器

人間としての機能と、愛を失い、愛が偽物であると知った主人公は、自分が人間ではないことを刻みつけることで自分を守ろうとしていたのかもしれない。

自分は人とは違うのだと、思い込むことでようやくバランスを保つことが出来た。

そのバランスが崩れたのは、三姉妹の末の子から、家族であることを強調されて戸惑う場面だった。

欺瞞でしかない家族を本物であるとして、あまつさえ主人公を迎え入れようとする彼女に、主人公は嫌悪感を抱く。自分のバランスを崩す言動だからだ。その一方で、彼女を遠ざけようとするのは、彼女自身を守ろうとしたからだろう。自分のことを同質の存在だと想い続けているならば、彼女は苦しむことになる、そう主人公は信じていた。

ところで、人が人に憐れみを抱くのは、上から目線の証左でもある(語彙力が無いからこんな言い方しか出来ないのがちょっと恥ずかしい)。

主人公は彼女のことを遠ざけて、吹っ切れたつもりでいた。

だから、下巻の最後の章は、彼女からのカウンターだ。あくまでも主人公は同質な存在だと認識することを、彼女は決して諦めなかった。主人公に向けて、それどころか、主人公にまとわりついた理不尽で不条理な世界に向けて、彼女は敢然と立ち向かう決意をする。

言葉という、彼と彼女がともに愛した、人間にしか通用しない唯一の武器を以てして。

 

おわりに

例えばこの小説が主人公の描写のみで終わっていたり、殺戮にばかり目を向けていたりしたらへとへとに疲れていただろうし、意味もなく人が死んだりしたら醒めただろうけれど、自分としてはそうはならなかったので安心しているところです。

面白いなと思ったのは、主人公の能力が一目につかない場所に限定されているところですね。ゆえに主人公はヒーローたりえず、強さを讃えられる機会のないことがなんとも空虚でとても良かった。

純文学×SFと謳っているのですが、純文学の定義は僕にはわかりませんので難しいです。よく本の名前が引用されているのは、主人公たちの胸の内で小説の名がひっそりと残っているかなんじゃないかな、なんて思ったりもした。

 

最後の章でアネモネが描写されていたので、僕の中ではASIAN KUNG-FU GENERATIONの「アネモネの咲く春に」が脳内BGMでした。感想のひとつとして御寛恕ください。あれは東日本大震災を受けての曲でしたね。幸せだったかという問い掛けはいつでもどうしても遅くなってしまうわけです。

 

『雨街で残響』は今年のコミケでも頒布されるそうですよ。