雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

読書するコツ

久しぶりにブログを書いてみたくなった。

今年の前半に書いたものは、続けようという意気込みが強すぎて、読み返すと少し恥ずかしい。

ただ、この意気込みと反動の負の連鎖は、今回のブログテーマにちょっと絡んでいたりする。

 


今回は本が読みたいけど時間がないという人へ向けて、継続して読書をするコツを書いてみる。

全て自分の実感によるものなので、誰にでも通じるものじゃないことをご承知おきください。

 

 

 

 


メモを取る、線を引く、付箋を貼る、等々、手間のかかることはしない

 

読書体験を活かしたいという人は多いだろう。

記録に残したいから、紙や電子のメモに残したり、線や付箋を残して、いつでも振り返れる取っ掛かりをつくる。

このような取っ掛かりは、道理にかなっていて、

仕事であれば、これができないと話にならないくらい重要なことだ。

 


とはいえ、記録を活用するというのは、結構根気がいる活動だ。

例えば、漫然と書いたメモは、後になって振り返ると、わけがわからなくなったりする。

目的意識がないと、メモはただの文字列以外の何物でもなくなってしまう。

線も付箋も同じことで、それが何を意味しているかを把握しておかないと、活用はできない。

 


それでも、メモを取ることが楽しいというなら、それで良いのかもしれない。

活用するために読むというのは、なんとなく利己的な気がして、たしかに自分も苦手だ。

 


しかし、メモを取るという行為が負担になり、読書をしない理由づけになってしまうこともある。

今は紙がないから、ペンがないから、付箋がないから、今日は読書はしないでおこう。

こんな感じで、読まない理由が増えてしまうと、読書に進む意欲そのものが削がれてしまう。

 


だから、特に強い意志がないならば、余計なことはしない方が良い。

心配しなくても、本気で気になった文章は案外頭に残るものだ。

完璧にとはいかなくても、引っかかりの名残みたいなものはきっと残る。それを頼りに読み返すのも良い。

それさえも残らなかったら、もう気にしないで良いんじゃないだろうか。

 

 

 

 


一度に読むのは、10ページ以内にする

 

読み慣れている人からしてみたら、10ページは少ないのかもしれない。

しかし、慣れてない人には難しい。

僕自身、いつまでたっても文章を読むのは苦手だった。

10ページしか読めない自分に焦りを抱いたりもしていた。

 


しかし、小説というのは案外、10ページも進めば何かしら起こるものだ。

空白なわけではないのだし、それらのページだけでも進めばそれは十分読み進めたということになる。

10ページずつを、積み重ねれば、止まらなければ、500ページだって10冊だって読み進められる。

 


また、これは紙の本に限った話だけど、大抵の本は下部にページ数が書かれている。

それをあえて見ないようにする人もいるだろう(例によって自分がそうだった)

 


とはいえ、このページ数を活用することもできる。

十の桁だけを気にするようにして、さっき見た時から変わっていれば、だいたい10ページは読んだだろうとわかる。

よし十分読んだなってことがわかったら、容赦なく休んだ方が良い。

読み進めるかどうかはその後で考えれば良い。

 

 

 

 


休みまくる

 

本を読んでいると、体勢が固まる。

じっとしていれば、血行が悪くなって、ジワジワと頭が働かなくなる。

 


多かれ少なかれ、何をしていても疲労が溜まる。

本を読むときもあてはまる。動いていないから、疲労に気づきにくいだけだ。

 


疲れたら、などと判断する間も無く、何かをしたら少し過剰なくらい休むと良い。

本当に疲れていたらもうやりたくないと身体が反応するはずだ。

行けそうなら次のページ。無理そうならもうやめて、別のことをした方が良い。

 


だいたい読書はそんな無理をするようなものじゃない。

読んでいる途中で気になることが思い浮かんだら、早くそっちに行った方が良い。

その本か手元にある限り、いくらだって読めるのだから。

 

 

 

 


そもそも読書をするんだ、などと意気込まない

 

どうも人は、無意識のうちに物事を大事に扱おうとする。

先にあった記録を残すというのは、それがただの時間潰しじゃなかったんだぞと刻み付けるようなものだ。

 


大事に扱うというのは、意気込むということだ。

 


読書をするのだから、やるべきことは全部終わらせよう。

できればお茶やお菓子を用意して柔らかいクッションに身を埋め、本は書見台に挿して優雅な時を過ごす覚悟を決める。

そんな感じだから、いつまでたっても読書が始まらない。

 


読書を続けるつもりなら、それを高尚な行事にはしないことだ。

息するようにとはいかないまでも、日常の間隙を埋める手段の一つとして考えた方が、いつまでも続けられる。

 


できれば続けているということ自体も奢らない方が良い。

続いたって、続かなくたって良い。いつだってやめることができて、いつでも再開できる。