雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

トランクス

8年間持っていたトランクスを捨てた。
長い間履いていたからボロボロに、というわけでもない。どちらかといえば綺麗な見た目だ。
実はサイズが合っていない。引きのばさないと僕の腰には到底届かなかった。

 

そのトランクスは大学時代の友人からもらったものだった。
飲み会の帰りだったか、どうだかはっきりとは憶えていないけれど、その日僕は、彼の実家に泊まることになった。
彼は洋楽を聴いていて、リビングのパソコンでプログレッシブロックを流してくれていた。
僕はお返しに、吹奏楽部のディープ・パープル・メドレーを検索し、見せてあげていた。

 

シャワーを借りて、元の服に着替えようと思ったら、彼の母が下着を用意してくれていた。
「持ってって全然構わないから」
ほんの一瞬しか見なかったけれど、そんなことを、明るい調子で言ってのける人だった。


僕のいた大学は比較的、裕福な家庭が多かった。平たく言えばお金持ちだ。
その友人もどちらかといえばそのように言われる側にいた。
彼の家に泊まったあとで、別の友人達と会話になり、ケーキでも食べた? などと冗談めかして語られていた。
その冗談を彼も聞いていて、一緒になって笑ってくれるかと思ったら、顔を引きつらせた後に僕に目配せをして、すぐ背けてしまった。
違うよ、と言い張るにはもう遅くて、話題は変わってしまっていた。
ささやかすぎる後悔だ。

 


彼の家は小田急小田原線の経堂駅が最寄りだった。
泊まっておきながら遅めに起床した僕は、経堂駅へ向けて彼と一緒に歩いた。
彼は見送りだった。裕福だとかは関係なく、そういうことができる人だった。
薄青い空と、休日の穏やかな街並みに、東京は喧噪ばかりではないのだな、とかしみじみ思っていた。

 

「日本のロックならアジカンが好きだよ」
歩きながら彼が言った。
それが背中を後押しして、未だにあのグループの音楽を聴いている。
音楽通の彼が認めていたのだから、良いのだろう。そんなところだ。
判断は人に託すのが当時の僕の癖であり、今でもそれほど変わっていない。

駅のホームが見えてきた頃に彼は言った。
「晴れた日には富士山が見えるんだ」
その日は見えなかったのに、家々の間に浮かび上がるその情景は、不思議と想像しやすかった。

 


トランクスは無事、僕の家に来ることになった。
何度か履いたけれど、小柄だった彼向けのサイズは、相当にきつかった。
だから履かなくなる。つまり、汚れなかったし、すり切れもしなかった。
綺麗な状態のままだったそのトランクスが、引っ越しの折りに引っ掴んだ下着類の中に紛れていた。
だから、今住んでいるアパートにもそいつはいて、僕はつかんでは、大学時代の記憶を思い起こしてそっと戻していたりした。

 


で、ふと思い立って、捨てた。
いくらなんでも持ちすぎだろうという、心の中の声が大きくなり、笑ってしまい、ゴミ袋に放り込んで、週明けの収集場所に持っていった。
柄くらいならまだ憶えているけれど、いちいち書き記すほどのことでもない。

 

モノが捨てられないのは、捨てるという行為に罪悪感を覚えるからかもしれない。
罪悪ではないとはっきりわかっていれば、捨てられるのだと、捨ててから分かった。

 

友人とはすっかり疎遠だけど、名前は憶えている。元気でやっていてほしい。
そんなところだ。

 

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