【エッセイ】aとOKとら抜き言葉
" I am ~ " って " I'm ~" って省略するじゃないですか。
あれって英語圏のどこかの段階で省略する勢が多数派になったんだと思うんですけど、
そのときもa省略する奴許すまじって感じの過激派っていたんですかね?
「a抜き表現だ! 是正してやる!」みたいな感じで。
あるいは例えば"OK"だって、あれは元々"All Correct"じゃないですか。
もう、元には"O"も"K"もないわけですよ。原型留めてないじゃないですか。
こっちこそもっと過激な勢力がいたと思うなあ。絶対いたでしょ、OKって言う奴許すまじ勢。
「俺は絶対に All Correct と言い続けてやる!」みたいな感じで、OKを連呼する若者たちに罵倒という機関銃をぶっ放していくんですよ。
最初は有力で、上から目線でいられたんだ。
だけどそのうち言語の変化の波に押され、ついには一人残らずOK党に駆逐されていく。
こんな風に書くと、言語の変化を肯定しているような流れに見えるかもしれないけれど、僕はら抜き表現が苦手なんですよね。
気づかずに使っちゃってる可能性は大なんですが。気づくときは気にしちゃう。
今はもうら抜きってかなり一般化しているし、こだわる人も少数派になっているんだろうけれど、
例えばテレビのテロップなんかではら入りなのに話し言葉だと明らかにら抜きであるときって気になりません?
むしろ早いところどっちかに統一してくれた方が気持ちとしては楽かもしれない。
作家の住野よるさんは校閲さんにら抜き言葉を指摘されても、「若者がら抜き言葉を使わないのは逆に違和感がある」と反論したらしいですね。
なんかもう、人間としての懐が違うなって感じがしますよ。若者がら抜き表現使っているのを素直に受け容れているわけじゃないですか。
僕だったら絶対無理ですって。「わーら抜き表現使ってるークスクス」ってほくそ笑むことしかできないって。
そういえば投稿サイトとかだとよく言葉遣いの誤りとか、誤字脱字を指摘してくる人いるじゃないですか。
あれもまた、何なんですかね? なんかこう……何なんですかね?? 書く前ならわかるんですけど、発表されたものを指摘するのってなんかこう……
いやでも読んでいるときに誤りを見つけて気になることは確かにありますね。ああ、間違っているなってちょっと白けちゃうというか。没入感が薄れるというか。
それを書くかどうか、あまりに多かったら書くのかもしれない。
なんか続けようと思ったけど、僕の作品も誤字脱字ばかりだから気力が失われた。
いつから抜き表現を指摘されたら、若者だからと答えられる大人になりたい。