【エッセイ】飴色と土気色
浅田次郎の小説を読んでいたときに、「飴色」という描写が連続して登場したことがあった。
飴色は知らなかったのだけど、読み飛ばすのも気が引けて、調べた。
僕の中で、艶っぽい茶色としか表現できなかった色が、あのときから飴色と呼べるようになった。
大袈裟に言ったけれど、実際そうなのだ。知らないのと知っているのとでは大きく違う。
そもそも茶色って、言葉がもたらすイメージが妙に強くてなかなか使いにくいし、曖昧な色合いであるせいか、同種の色の名前もバリエーションに富んでいる気がするね。
飴色と聞くと、未だに僕の頭の中では浅田次郎が浮かびます。具体的な作品を言えば鉄道員です。飴色が何の色だったかはもう憶えていないけれども。
本を読んでいて出くわした色で、もうひとつ印象深いのが「土気色」だ。
やつれていたり、生気を感じなかったり、そんな色だろうと思いつつ、結構長い間読み飛ばしていた。
それで、いざ調べてみると、土のような色などという説明しかなかったりする。
いったいこの地球上にどれだけの種類の土が存在していると思っているんだ。
だいたい土という言葉自体、曖昧で、砂漠も泥濘も土と言えば土だろう。
赤茶けた土もあれば波に洗われ白んだ土もある。
何が混ざっているかによっても雰囲気そのものが変わってくる。
とまあ、ツッコミ出すとキリがない。
現実的な話、そもそも明確な色を差す言葉ではないのだろう。
自分の想像なのだけど、あの土気っていうのは、生気の対義語なんじゃないだろうか。
張りも艶も感じさせない、どことなく黒ずんだ色。
それくらいの曖昧なイメージでも、本はとりあえず読むことはできる。
辞書が曖昧なんだから、想像だって曖昧でいい。
何もかも完璧にしらなくても、本を読み続けることはできる。後から知ったって別にいい。誰かに咎められる筋合いはない。
ちなみに初めて土気色が気になったのはハリー・ポッターを読んでいるときでした。つまり、スネイプ先生のことで、だから、僕の中の土気色は今のところあの人です。