雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【エッセイ】TRAIN-TRAIN

昔、予備校の倫理の授業をDVD受講していたとき、講師の人が突然THE BLUE HEARTSの話をし始めたことがあった。

話の流れは全く憶えていない。とにかく突然、何かに憑かれたようにして、TRAIN-TRAINがどれだけ素晴らしいかを語り出したのだ。

おそらく授業と直接関係のないことだったし、話半分で聞いていたのだが、あまりの熱弁ぶりにその異様な姿だけは記憶に焼きついている。

僕は歌には全然詳しくなかった。内容について深く考えたこともなかったのだけど、この一件があってから、詳しく調べてみるとやばい曲なのかな、なんて漠然とした畏怖を感じていた。

と、言いつつも真面目に考えたことはなかった。

 

今日は別のエッセイを書こうと思ってメモ帳にネタを書き留めていたのだけど、途中で機関銃というフレーズが登場して、あの予備校でのことを思い出した。

元の予定を変更して、歌詞を調べてぼんやり、思ったことを書いてみる。

 

 

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者を叩く

その音が響き渡れば ブルースは加速していく

 

 

これはAメロの後半で、暴力の連鎖を指していることはわかるけれど、そういえばここでブルースって言葉を使っているんですよね。

ブルースってのは昔、アメリカ大陸に連れてこられた黒人奴隷たちが謳ったワーカーソング、労働中の掛け声に節をつけたのが発祥だと言われている。苦しみの中で、それでも動くために絞り出した、短いフレーズを繰り返す歌だ。

Aメロの始まりは、栄光に向かう列車に乗ろうという掛け声。ブルースからの連想で列車を大陸横断鉄道をイメージしやすいけど、ちょっと早計かな。競争社会の始まりとか、そんな意味合いでいいんじゃないだろうか。

加速ってのはそのまま速くなるって考えてもいいけれど、ここでは加わるに着目して、大きくなるとか強くなるとか、そういう意味合いで使っているんだと思う。

 

見えない自由がほしくて 見えない銃を撃ちまくる

本当の声を聞かせておくれよ

 

 

続けて解釈していきたいところだけど、歌詞を順番に観ていくと、単純にそれっぽいことを言っているフレーズで終わってしまうと思う。

このフレーズは繰り返される。ということは、歌全体に関する主題なのだと思う。最後のサビ(大サビっていうのかな)を先取りする。

 

土砂降りの痛みのなかを 傘もささず走っていく

いやらしさも汚らしさも むきだしにして走ってく

 

土砂降りの痛みという言い方が不思議で、傘との連想で雨を想像したくなる。雨のように、傘という防御をしないとどんどん痛みが身体を襲ってくる。自分が感じる痛みのことなんですよね。

「傘もささず」と「むきだしにして」は、曝け出すっていう意味で共通している。曝け出して、いやらしさや汚らしさが出て来る。つまり、土砂降りのように降ってくる痛みっていうのは、自分のいやらしさや汚らしさに向かってくる痛み、誹謗中傷の類いなのだろう。

 

聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい

 

大サビの後半にあるこのフレーズの、聖者っていうのは、要するにいやらしさや汚らしさがない人を指す。それに「なれない」ってことは、痛みがある。防がない限りは痛みを感じてしまう。

先に触れた「傘」は、この痛みを防ぐためのものだ。傘があることで、自分はなんとか、聖者のふりをしていられる。

 

ここで先の繰り返しのフレーズに戻ってみる。

 

見えない自由がほしくて 見えない銃を撃ちまくる

本当の声を聞かせておくれよ

 

この「本当の声」というのが「痛み」のことだろう。

痛がっている自分を、「銃を撃ちまくる」ことで隠す。つまり、銃は傘と同義語だ。

攻撃は最大の防御なんて言葉もあるけれど、自分に降りかかる痛みを攻撃することで防ぐ。

Aメロでもあった暴力の連鎖は、自分に降りかかってきた痛みへの反抗、「見えない自由がほしくて」とあるけれど、自分(=弱い者)が自由になるために他者(=さらに弱い者)を攻撃することを指しているんですね。

「見えない銃」という言い方に現れているとおり、その攻撃性は実体を伴わない。

本当の銃だったら、叩き続けることはできない。撃ち殺したらそこで終わる。

実体のない銃だから、いくらでも相手を攻撃できる。

例えば死ねという暴言をいくら吐いても、相手が直接死ぬことはない。

その代わり、苦しみの中で溜め込まれたエネルギーが、生き抜くための歌としてブルースを生み出していく。

 

ここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもない

いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない

 

全てが良いわけでもないし、全てが最悪というわけでもない。

地に足着けているこの世界は、どう足掻いても、生きなくちゃいけない場所だ。目を背けるわけにはいかない。

 

ロマンチックな星空に あなたを抱きしめていたい

南風に吹かれながら シュールな夢を見ていたい

 

ロマンチックもシュールも、現実離れという意味で共通している。

普段の生活からちょっと離れた場所を想像する。そうすることで、ようやくバランスが取れる。

可能性があるから想像ができるわけで、不可能だったら夢見ることもできない。

現実を離れた夢を描くことでようやく、現実を生きることが出来る。

 

つまるところ、この歌は傷だらけでもいいからこの世界を生きろと言っているんだね。

 

綺麗事ではない。というのも、正直歌をよく知らなかったときは、恥ずかしながら綺麗事を並べ立てる歌かな、なんて印象を持っていたのだけど、じっくり聴いてみてようやく反対なんだとわかりました。

むしろ、綺麗事という機関銃で誰かを蜂の巣にするのはもうやめろ、という歌なんですね。

 

世界中さだめられた どんな記念日なんかより

あなたが生きている今日は どんなにすばらしいだろう

 

 

記念日も、このあとのフレーズに出て来る記念碑も、痛みは払拭されて伝えられるものだ。

そんなものよりも、いやらしさも汚らしさもある、今を見てほしい。痛みを受け容れて、生きてほしい。

そういうことなんじゃないでしょうか。

 

倫理の講師が興奮していた理由は、今となってはわからずじまいだけど、ただの応援歌じゃないってことは、ようやく分かった気がします。

 

それにしても、歌詞解説ってやっぱり難しい……あくまでも個人の解釈ということで。