雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【感想文】イリエの情景~被災地さんぽめぐり~ 1

社会人になってから、年に一度は県外、なるべく関東を離れるようにしている。いつもひとりでの旅だ。

一年目は名古屋に行き、二年目は金沢に行き、三年目は京都に行った。一年目、二年目は写真を撮って日記記事を公開するなどマメなことをしたものだが、三年目からはやる気も湧かず、せいぜいツイッターに写真を載せるだけに留まった。

四年目は広島に行き、尾道から始まるしまなみ海道で全身軽い火傷みたいな状態になってすっかり参ってしまい、予定より早めに新幹線で帰ることにした。

いつか原爆ドームを見ようと思っていた。義務感のようなものだ。そこを前にして、自分がどんな感情を抱くことになるのか、何を言うのが正しいのか、まだ十代だった頃に時折考えては何度か眠りを浅くしていた。

広島は想像以上に広かった。広すぎた。宮島や呉も射程に入れていたら、健康な状態でももう一日必要だっただろう。いつかまた、もう一度行こうと思いつつ、五年目の今年は結構近いところにする予定です。

 

さて、『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~ 1』

先日開催されたテキレボ7で購入した旅小説。

作者のずんばさんがたまたま隣のブースになったこともあったし、よくよく思い返してみるとテキレボ前のカタログチェックの段階であたりをつけていた。ちょっともう、当日の印象が強いので、自分がどういう気持ちでチェックをつけていたのかを忘れてしまったのだが、何かしら惹かれるところがあったのだろうと思われる。

 

カメラマン志望の三ツ葉とその友人の依利江。大学二年生の女子二人組が、ふと思い立って東日本大震災の被災地を巡ることになる。計画を立てたのは三ツ葉で、誘われた依利江はその理由がわからないまま、三ツ葉のことを知りたいがためについていく。舞台は二〇一六年。震災から五年経ち、当時の記憶はすっかり生活から薄れつつあった。

実際に旅が始まると、復興しつつある街と、放置されているかつての名残を前に、依利江の胸中は複雑なものになる。震災の記憶は確かにあるけれど、それが地続きである人たちと、自分の中にある震災への距離感のズレが増幅して、不安に駆られる。

その不安は三ツ葉に対しても、形を変えて現れているように思われる。意識的に動いている様を凄いと思う裏側には、依利江自身が抱く劣等感が隠れている。三ツ葉のことを知っていると思っていたけれど、実は知らないことがたくさんあった。どこまでも、輝いて見える彼女について、触れて良いのかわからなくて、依利江は道中、ひとり静かにその恐れと戦う。

 

被災地の今を発信するのではなく、自分の感覚を大切にする旅にしたいと、冒頭で三ツ葉が依利江に語る。

発信は、受信する他者がいて初めて成り立つ。他者に伝わらなければ意味がなくなってしまう。だから、その情報は客観的に洗練されていなければならない。主観を交えたら、報道としては失格になる。

それを、三ツ葉は否定する。報道では捨てられてしまう自分の感性をむしろ汲み取ろうとする。だからマメにメモを取り、自分から人々に話しかける。

震災のとき、当然ながら大勢の人たちがなくなったが、被災地に関わりのない人たちにしてみたら、それは全て客観的なデータだ。良い悪いの問題ではない。津波に呑み込まれた人間の全員に自分と同じ人生があったことを、真面目に想像しようとすれば、きっと発狂してしまう。

昔、僕が原爆のことを考えて眠れなかったときも、多分このような怖さを感じていた。考えれば考えるほど、何もできなくなる。何も言えない。言えるはずがなかった。何百人もの死傷者と個として対等な人間はこの世のどこにも存在しない。

人が報道を待つのは、事実を知って安心したいからだ。自分との間に区切りをつけて、向こうの方では大変なことがあったらしいと身近な仲間内で語らえればそれでいい。

その安心感を三ツ葉は是としない。その様子を依利江は怖いと思いつつ、その実憧れを抱いてもいる。

 

この小説は3巻構成だそうなので、実際のところ三ツ葉が何を考えているのかはわからないままです。なので上に書いたことも正しいかどうかわかりません。違っていたら違っていたで、それはそれで楽しみです。

1巻のラストは、迷い続けていた依利江がひとまずの区切りをつける形で終わります。自分に自信のなかった彼女が、自分の感性を実感する。個としての自分の主観に気づき、その上で自分らしい答えを見つける。成長が垣間見えるラストは清々しく、次巻への期待が高まりました。

今年の夏、コミケや大崎コミックシェルターでも頒布する予定と聞いておりますので、早速乗り込む所存でおります。楽しみですよ。

 

あと、これは全然余談なのですが、僕の出身地は深谷市なので、名前が出てきてびっくりしました。

とある場所の情景と似ているとのことで、東北とは縁もゆかりもなく、当然行ったこともない場所なのにそこだけ妙に親近感が湧いて、勝手に楽しかったりもしました。

近くに感じて、あるいは遠くに感じたりして、地続きであることを実感する(別に海を挟んでもいいんですけどね)、それが旅の醍醐味なのだと思ったり、思わされたりする。