雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

とある友人についての思い出話

大したお話ではない。諸々の事情が考えられるので、ある程度ぼかしながら、話を進めていく。

 

僕が高校入試に臨んでいたとき、学区制というものが廃止になった。

もしかしたら通じない場合もあるかもしれないので、説明をしておくと、学区とは居住地によって通学圏内を限定する制度のことだ。それが廃止になり、例えば田舎住まいだった僕が電車で一時間程かかる都市部の進学校を志望校として選択することも可能となった。

ここまでは高等学校についての話だ。

小学校、中学校では学区は未だに存在している。特定の地域に住んでいる人は特定の小学校、中学校へと通うようになっている。

過疎気味な地域になると、小学校に通っていたメンバーはほぼ全員変わらずに中学校へ持ち上がることになる。僕もそちら側の人間で、中学校に入って、初めて誰それがいないとわかる、なんてこともあった。引っ越したり、家庭の事情だったり、原因は様々だ。

 

小学校にはいて、中学校にはいなかった人。その中にKという友人がいた。

明るいというか、騒がしい奴だった。じっとしていられない質だったのか、とになくしょっちゅう暴れていたような気がする。担任の先生にも突っかかっていたし、同級生たちにも突っかかっていた。どこかしらでいつも喧嘩をしているような奴だった。

こう書くと、粗野な暴れん坊を想像されるかもしれないが、そしてその想像は大きく間違っていないと思うのだが、僕はKのことが嫌いではなかった。何となく、そばにいて楽しかったんだと思う。Kには裏表がなかったので、それもまた気楽でよろしかった。

 

反対に、Kを嫌いな人は多かったと思う。女子からは早々に避けられていたし、男子たちでさえも、小学校の高学年に上がる頃には露骨にKを遠ざけたり、嘲笑の対象にしたりしていた。

実際、Kの暴れ方も、クラスメイトの耳に吐息を吹き付けるだとか、そのくらいのことを延々と繰り返す感じだった。それこそ小学生じみていて、何度も繰り返されるとなってはたまったものではなかったのだろう。

 

Kは自衛隊に入るといっていた。

詳しい事情は憶えていない。そういうふうに言われて育ってきていたのかもしれない。

同じ中学には行けない。だから、といって、Kは中学校指定のウインドブレーカーをまとうようになった。着ることができない服を自分で身に纏ったというわけだ。

小学校の最後の年を、Kはほとんどそのウインドブレーカーで過ごしていたような気がする。中学校に入って、自分も同じデザインのウインドブレーカーを着ることになったときには、これはKの服だ、などという印象が強く残っていた。

 

Kは宣言どおり、僕らとは別の中学校に通うようになった。

その後、同じ習い事をしていた友人がたまたまKと同じ中学校に通っていた。Kは登校初日にクラスの全員の耳に吐息を吹きかけて、それ以来皆から嫌われてしまったらしかった。

Kは何も変わっていなかった。そういうところが、僕は嫌いになれなかったんだと思う。

 

小学校時代に話が戻る。

当時存命だった祖父が、僕を呼び出して、何やら真剣な顔で「何でも俺に打ち明けろ」と言ったことがあった。何のことかわからずに呆然としていたら、どうやら僕がいじめをうけているという噂を耳にしたとのことだった。

いじめの主体はKだという。僕には身に覚えのない話だった。

噂を流したのが誰なのかはわからないが、祖父が僕を心配して、声をかけてくれたのだった。

その後、Kとも話し合い、お互いに何もしてねえしされてねえよな、的なことを話した。Kが文字通り眉根を寄せていたのが面白くて、誤解与えないように僕も深刻な顔になった。

数日して、噂が晴れた。どういう経緯だったのかは忘れたが、祖父と僕の母が話しあっていた。

「Kって子、皆から嫌われているんですって」

そう言って、母が甲高い声で笑っていた。

僕はKを嫌いになれなかったのは、これが理由だったのかも知れない。

 

美談のひとつでもあればいいのだが、生憎僕には、クラスや親のKに対する固定概念を覆すような度胸も論理もなかった。ただ、Kは嫌な奴じゃないと自分に言い聞かせるのに精一杯だった。

だから、僕のKについての印象にはだいぶ補正が入っているのだろう。そうでないならあそこまで皆に嫌われはしないようにも思える。

誰も間違ってはない。糾弾するつもりは今もない。Kが面倒な奴だったのは確かなことで、面倒を避けるのが人間の本質だ。中学校に上がったとき、Kがいないことに気づいてホッとした人間は、きっと一人二人じゃなかっただろう。

 

月日が経って、一度だけKと再会したことがあった。近所の、コンビニの中だった。

Kは僕を横目で二度見して、それから伏し目がちにぼそぼそと挨拶をしてくれた。僕も挨拶をした。それ以外に何を言って良いのかわからなかった。簡単に別れを交わし、僕が先に外へ出た。

もしかしたらあの小学校時代の思い出はKにとって好ましくないものだったのかもしれない。

僕と再会したために、その黒い思い出が蘇り、僕から目を逸らした。

見ていられなかったのだろうか。僕の姿とともに、昔のKがそこにいたのではないだろうか。

確認のしようはない。僕はそれ以来一度もKを目にしていない。

その場で気づいてあげられなかった僕に、今更できることはない。

 

この話をしているのは、今日職場で見かけた外部の方がKに似ていたからだ。

言い忘れていたが、Kは小学生の間、ずっと坊主頭だった。

どんな家庭だったのか、今更になって気になっても遅い。

再会したいかと思えば、まあ見てみたい気もする。ただ、検索するほどではない。そんなことができてしまう世の中は無粋だと思いつつ、そもそもやっぱり、話すことが思い浮かばないだろう。

僕は6年間、Kと同じ学び舎に通っていた。

僕はまだKのことを嫌わずに憶えている。

それでいいんじゃないかな、と思う。