雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【感想】路(吉田修一)

一九九七年、台湾の台北―高雄間高速鉄道建設工事の入札にて、自らの技術力を過信していた日本は、より低い予算を呈示した欧州連合を相手に敗北を喫した。しかしその後、台湾からのまるで恩赦のような申し出により、敗者復活の可能性を得る。三年後の二〇〇〇年末、新たな入札の結果、逆転勝利を勝ち取る。日本の誇る新幹線の技術が初めて海外で実を結ぶ。国内外からの注目が集まる最中、担い手である商社に勤務する若手社員、多田春香は、突然部長に呼び出され、台湾に行く気はないかと尋ねられた。過労気味の恋人、繁之の身を案じつつも、気づけば春香は即答しているのであった。

 一方、交通工学を学び、そのまま建築会社に就職して高速道路建設等に携わり、現在は現役を退いていた老人、葉山勝一郎のもとにも台湾の高速鉄道建設工事の方は入る。教えてくれたのは、急な病のために入院生活を送る妻。葉山が台湾の生まれであることを知っていた妻は、これを機に台湾に訪れてみてはと諭す。だが、葉山は開業予定である五年後にあまり現実感を抱けずにいた。

 さらに台湾では、工業高校卒業後、未だ定職にありつけず、ふらついている不良青年の陳威志が、スコールに降られたのちのグァバ畑にて、幼馴染みでありながら長いこと会わずにいた張美青と再会していた。見違えるように綺麗になっていた美青との距離感を計りかねている彼らの眼前に、高速鉄道の整備構造が映る。今はただの更地にすぎないその場所に、威志は鉄道が猛スピードで駆けぬけていくのを夢想する。

 

 ここに挙げた三名意外にも、春香の上司であり、丁寧な仕事が裏目に出て台湾の南国気質に上手く染まれず、水商売に入り浸る上司の安西、春香がかつて台湾へ一人旅に訪れたときに出会い、再会する約束をしたにも関わらず手がかりを消失していた謎の青年エリックなど、多くの人物がこの物語に入り乱れる。登場当初はどのような関わりがあるのかもわからない彼らは、高速道路建設の進行や停滞に合わせ、同じように前進したり、あるいは立ち止まって思い悩む。

 

 この物語は一年ごとに区切って展開される。登場人物が多いにも関わらず、映し出される姿は一年のうちの本の一瞬だ。まるで一年単位でのスナップ写真を見ているかのような気分になる。一応主役級である春香は若干多めに場面が足されているが、それでも一年に三回ほどだ。

 ある年で巻き起こった問題が、翌年のスナップ写真で顛末を解説されることもある。行間を読むのは疲れそうにも思えるが、読んでいる間にも苦痛は感じなかった。五年の間にも変わりゆく彼らの姿は、清々しくて、とにかく見ていて気持ちが良い。

 

 全体から伝わってくるのは台湾の情景だ。作者に思い入れがあるのだろうか、日本に近いところもあれば、南国気質でまるで違うところもある。だからこその悩みもあれば、新しい気づきももたらしてくれる。通読した今、台湾が南国であることを僕は知っている。そこにはグァバ畑があり、夜祭りのような熱気のある出店が並ぶ。中国との距離感、緊張、日本を含めた他国との関係性が物語を通して察せられる。

 ただ、深刻な話が主題ではない。高速鉄道建設工事も言ってみれば背景だ。それに関わる人々の交流こそが一番の見せ場であり、人と人とが繋がることの単純な面白さが作中にはちりばめられていた。

 どんな苦境があろうとも、人生は楽しむもの。それを教えてくれる物語でした。