雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

『愛のむきだし』備忘録

あんまり入れ込んで書いても疲れるだけがしたので簡単な備忘録を残す。ネタバレはする。

  主人公のユウはクリスチャンの家に生まれる。亡くなった母にマリアを重ね、いつかマリアを見つけることを誓う。ところが父にとある女が擦り寄ってきたことで生活が一変する。むきだしの情欲にたきつけられた父は次第に信仰が歪み、懺悔室で主人公に罪を求める。父の期待に応えるべく、主人公は罪、それもクリスチャンからもっとも忌み嫌われる情欲に駆られた罪を犯していく。

 

 このように話が動き出すのに、重要なのはユウが機能不全だということ。実際にはヒロインを見たときだけ勃起するので正確にいえば違うのだろうけど、とにかく主人公には情欲がない。罪の行為として選んだ盗撮も、エロいものを撮ろうという気概こそあれ、その写真で抜くことはできない。いかにしてバレずに、エロい画を撮るか。それは情愛とはかけ離れている、ある種の芸術活動のようなものなのだろう。

 

 ヒロインのヨーコが登場し、ユウは彼女にマリアを重ねる。生まれて初めての勃起を体験したユウは、ヨーコこそが自分の求めていた存在だと認識する。しかし、別の章で明かされているとおり、ヨーコは全ての男を憎んでいる。加えて、彼らが出会ったとき、ユウは女装をしていた。ヨーコは女装したユウに好意をよせ、素のユウは自分につきまとう変態だとし、嫌悪する。

 

 倒錯する関係に、さらにもう一人、コイケという女性が関わってくる。彼女は盗撮しているユウと接触し、エロと関係なく純粋な心で罪を犯すユウに心惹かれる。あるいは共感した。いずれにしろコイケはユウを尾行し、素性を調べ、自らが所属する新興宗教団体、ゼロ教会への勧誘という名目でユウを自分の支配下に置こうとする。

 

 ここまでが上巻のおおよそのあらすじ。下巻ではゼロ教会が本格的に動きはじめ、ギャグは盛り込みながらも、むきだしの愛を巡る掛け合いが盛りだくさんだった。

 

 下巻で気になるところといえば、コイケの死に様。解釈の仕方も調べてはみたが正解はないように思われる。自分で見つけていけということか。それなら僕は共感したユウの壊れていく様を見て、自分と同じになったという喜びを感じ、もうこの世に未練がなくなったのだと思う。

 

 創作物の中で、ヒロインの気持ちが主人公に向くのにはいろんな動機がある。一目惚れをしたからとか、一言で片付けられるのが一番容易い。でもこの作品の場合、ヨーコはユウ、もとい男性全てを憎んでいるのだから難しい。簡単に靡くようではキャラがぶれる。だからヨーコは一旦ユウを殺そうとする。ユウのむきだしの、情欲に囚われていない愛を受け止める器は彼女にはなかったから。

 ゼロ協会の洗脳が解け、親戚の家で日常生活に戻ったヨーコ。ユウの救済が純粋な気持ちからきていたと悟ったのはここでだろう。今度はヨーコがユウを助けようとする。こういった相補的な構造がいいですね。

 

 テンポがいいとはいえ、正直長かった。いくつかのキャラをまとめることもできたんじゃないだろうか。でもそれがきっと監督の書きたかったものなのだろう。端々に見えているアイデアも妙に造詣が深い。様々な要素をあえて見せていることがかえってよかったのかもしれない。