雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

読書遍歴を思い起こす(1)

 本棚の整理整頓をしてました。

 出版社別>名前の順に並び替えるという、それなりの作業です。一度漫画で試したところ大変見やすくなり、見た目にも面白くなったので、今回は自室で一番蔵書の多い文庫本用書架を整理しました。

 昔は小説といったら文庫本で買う物だという先入観がありまして、初めて買った小説もやっぱり文庫本。整理しているうちに懐かしい本を見つけたりして浸っておりました。

 いろいろと懐かしい本を見つけたりしたので、ふと思いつきで、ここらで自分の読書遍歴をまとめてみます。

 1.小学校から中学校まで

 初めに申し上げておくと小学生の頃の僕は読書の苦手な子どもでした。読んでいる内容をイメージすることが苦手で、親伝いで手渡されたハリー・ポッターは頭の中ではマーブルチョコみたいな色合いの部屋で黒人の少年が話し合っているイメージでしたし、ホグワーツに入学する前に飽きてしまいました。後に映画を見て初めて魔法使いの話だと知りました。結局それでハリー・ポッターシリーズを読み返すことになったのですが、結局中学校を卒業するくらいまで、他の小説はほとんど読みませんでした。

 ただひとつ、例外がありまして、中学生の頃に担任の先生から川端康成の『雪国』を貸していただいたことがありました。そもそもの経緯は、当時芥川賞綿矢りささんが受賞しまして、先生が「お前らも小説くらい書いてみろ」みたいなノリでいろんな人に小説を薦めていたのです。今にして思えば読書家な先生なんでしょう。残念ながら僕は『雪国』を3頁で投げ出し、最後だけ読んで「あれ、なんか大事になってる!」と驚くくらいで終わりにしてしまいましたが、あれも細やかな読書経験と呼べるかなと思います。

 

2.高校時代

 高校に入学して一ヶ月くらいしたら、進路指導の先生との面談がありまして、「高校生になったら何か小説を読みなさい」とご指導いただきました。当然乗り気じゃありませんでした。当時の僕にとって、小説といえば「とにかく辛気くさいもの」でした。いったい何が原因でそう思い至るようになったのかはあまり思い出せないのですが、しんどいものだという直感があったんだと思います。

 ただまあ言われたからには形だけでも、と思って夏休み頃にようやく書店に脚を運び、文庫本の棚を眺めて歩きました。見つけたのが、新潮文庫の『太陽の塔』(森見登美彦)でした。200頁ちょいのこの本をゆっくり読み進め、「なんだか軽快だなあ」と面白おかしく読み進めて、最後に辿り着いたのがこの一文。

 そこから先のことを書くつもりはない。

 大方、読者が想像されるような結末だったようである。

(『太陽の塔新潮文庫』 p231)

「え、何が??」というのが僕の率直な感想でした。つまり当時の僕には、物語の後を追うことはどうにかできても、その先を想像するなどしたことがなく、していいものだとも思っていませんでした。1頁読み返して、わからず、2頁、3頁と読み返しても当然わからず、結局最初に戻って読み返しても結局ピンと来ずに悩みました。

 付け加えて言えば、この『太陽の塔』という本は「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞した著者のデビュー作であり、その賞に相応しくファンタジックなことが起こります。僕はそのようなファンタジックな事象を全て比喩みたいなものだろうと思っていたのですが、このラストの一文はまさしくファンタジックな事象の真っ最中に差し挟まれます。現実じゃないものだと認識していた描写を指して、その結末はすでに想像されていると言われてしまい、「そうは言われてもいったい何を想像すべきなのだろう??」とすっかり迷子になってしまいました。

 おそるおそる考えた結末も、結局当たっているかどうかは試しようがありません。小説はそこで終わっているのですし、ネットで検索しても答えなんて当然出てきませんでしたから。そういう答えの無い結末がむしろ楽しいんだ、ってのを体得するまでにはもうしばらく掛かりました。

 その後、森見登美彦さんの関係で『四畳半神話体系』を読み、これが頗る面白く、『夜は短し歩けよ乙女』を読んでやっぱり面白く、嵌まりました。

 

3.ライトノベル

 僕が高校生だった2007年~2009年頃はいわゆるオタク向けと言われていたコンテンツが一気に大衆に広まった時期でした。その頃の僕は2ちゃんねるに入り浸ってはいたものの、そういうコンテンツを公の場で語るという感覚になかなか馴れずにいました。それこそ2005年頃までは、そういうものを語る=犯罪者の卵って図式を刷り込まれていました。なんでそれが変わったか考えるとしたら、やっぱり『電車男』のブームと、ニコニコ動画の流行が欠かせないでしょうね。

 ライトノベルもそのコンテンツのひとつ。そのような小説があるのは知っていたものの、中学生の頃に友人から『灼眼のシャナ』(高橋弥七郎)を二回くらい借りたのが関の山で、あとは全然触れずにいました。それが、時代の変化とともにだんだん周りにも浸透してきて、高校時代の後半には友達から借りて読むようになりました。特に記憶に残っているのが『ムシウタ』(岩井恭平)で、推理小説に定番の手口な一巻を読んで引込まれ(おそらく人生で初めてのあれ、その名称を口にしただけでネタバレになるあれ)、その後二巻、三巻とやっぱり面白かった。ただ高校卒業とともに途絶え、それっきりになってしまいました。

 その後、読みたいなと思いつつもなかなか読めていないライトノベル。高校時代にもっと触れていれば、と思うこともないのですが、残念。当時の僕は2ちゃんねるまとめサイトに貼られていた「大学に入る前にとりあえずこれだけ読んどけ」みたいなスレで挙がっていた作品を書き留め、わけもわかっていないまませっせと『罪と罰』(ドストエフスキー)を読むのに必死なのでした。「デスノートみたいなもんだな」とその頃は思い、大学時代に友達に怒られました。

 

4.大学時代

 いよいよもって大学時代。時間はたくさんありました。ありましたが、読書は残念、ほとんどしませんでした。

 なんでや! と自分でも突っ込みを入れたくなるのですが、言ってみればそもそもまだまだ読書が苦手でした。読んだといっても話題になっている本をざらっと見て、ネットの評価をこれまたざらっと見て「あーこんな感じの評価なんだ」と理解する。そんな軽薄さでした。

 一応、高校時代から続けていた森見登美彦作品漁りも続けてはいたのですが、大学一年生の頃に『美女と竹林』が肌に合わず、それっきりに。どちらかというとノイタミナで放映されていた『四畳半神話体系』に心惹かれ、それからはアニメに没頭するようになりました。

 あとは宮部みゆきも読んでいました。確か大学構内の書店で『模倣犯』を手に取ったのが始まりで、続ければ良かったのに、満足してしまってそれっきり。大学三年生の頃に『永遠の0』(百田尚樹)が流行ったのですが、これはむしろ合わなかった。その次に『桐島、部活やめるってよ』が流行り、これは結構楽しめた。その他伊坂幸太郎(『重力ピエロ』『フィッシュストーリー』など)をつまみ食いし、東野圭吾(『手紙』『殺人の門』など)をつまみ食いし、重松清(『疾走』『ナイフ』など)を読んでボロ泣きする。そんな読書遍歴です。まあだいたいまとめサイトの後追いです。

 ここまで、あまり読書が得意でないと散々書いてきたわけですが、じゃあどこで読書が好きになったのかというと、大学生活の最後の最後に、一気に転機が訪れました。

 

5.文学フリマに行ってみる

 こっそりとなのですが、実は中学生の頃から小説を書いていました。

 小説を読むのは苦手じゃなかったのか? とつっこみが入りそうですが、苦手でした。でも書くのは好きでした。話を作ること自体が好きだったんですね。そして読むのが苦手だったので当然推敲も苦手で、ほとんどしてませんでした。垂れ流しです。ついでに言えば投稿するのは2ちゃんねるかしたらば掲示板(この場合は『投稿』というより『投下』と呼ぶ)が主で、とりあえず話を作るのが目的だったのですが、無計画も極まっていたので散々打ち捨ててどこか行くのが常でした。

 就活も終わって一息ついたころにもまだその趣味は続いていて、「いっそのことこの趣味に本腰を入れてみたらどうだろう」と思い立ったのが大学四年の夏休み。その頃入り浸っていたブーン系界隈に三日に一度ペースで一万字近い物語を投下して腰を痛め、「一般小説も書けるようになった方が幅が広がるのでは」と思いついて勉強し始める。その間に「小説にも同人誌ってあるんじゃないかな」と閃いて調べ、見つけたのが第十七回文学フリマ東京でした。2013年の11月のことです。

 何に影響されたか、ってはっきり言えるわけでもないです。ただ、こんなにたくさんの人が小説を書いているんだという驚きはありましたし、発表の場があることにも驚きました。今までネットに文章を吐き捨てるだけだった自分からしてみれば、紙の本を作って売るなんて発想がそもそも無かった。新しい世界を見た心地でした。圧倒される一方で、どうしてもっと早く知ろうとしなかったんだろうと悔やみました。大学時代も、もうすぐそこで終わりを迎えようとしていました。

 執筆という趣味は、本当はもっと奥深いものなんじゃないだろうか。その趣味が大きなものへと変化する機会を自分はみすみす逃してきてしまったんじゃないだろうか。そんな焦燥に駆られながら、もっと真剣に小説と向き合いたいという気持ちが強くなり、僕の脚はいつしか神保町へ向かっておりました。

 

6.三島由紀夫を読む

 神保町へは、通っていた大学から小一時間歩けば辿り着けました。初めは律儀に電車に乗っていたのですが、地下鉄なんて面倒で、脚で何度か通いました。

 古本屋の見方もわからず、ビビリながら歩き回り、やっと入った古書店でまた眺めました。どれがいいだろう、と相変わらず正解を探したくなる自分。そういう性分だったのです。ただいい加減まとめサイトに頼りっぱなしなのもよろしくない。だからなるべく、自分の直感を頼りに選びました。

 正確に何を買ったのか、全部は思い出せません。覚えているのは三島由紀夫豊饒の海』(一)~(四)です。もちろん三島由紀夫という名前は知っていました。自殺したことも知っていました。手に取った理由は、装丁が綺麗だったのと、四巻セットで800円くらいだったこと、それくらいでした。

 読み終えたのは、2014年2月。関東地方を十数年ぶりの大雪が襲い、あたり一面が雪に埋もれ、僕は風邪を引きながらも最終巻『天人五衰』の最後の頁を捲りました。全ての場面を理解できていたわけではありませんでした。使われている言葉も難しく、馴れなくて、遠くで巻き起こっている何かを必死に見ているような感覚でした。それでも最後の頁を読み終えたとき、物語の結末の衝撃に息を止め、余韻に浸って独り痛み入りました。

 それは小説でした。僕は生まれて初めて小説を読んだ心地がしました。

 感じ取れなかったことをもっと知りたいと思い、今まで読めずにいた小説というものをもっと読んでみたいと思うようになりました。大学生活最後の一ヶ月は、必死になって手持ちの積ん読本にかじりつくので終わってしまいました。しかし少なくとも、それ以前の自分と比べて、僕はずっと小説が好きになっていました。僕の読書遍歴はこのとき再スタートとなったのだと思うし、遅いと感じつつも、これでよかったのだと今なら思います。

 

7.いったんきりあげ

長いので、このあたりで一区切り。また機会をみて、社会人になってからの読書遍歴をまとめてみようと思います。また、気が向いたときにでも。

何かありましたらコメントなりでご質問ください。それでは今日は失礼いたします。