雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【一時間即興小説】伝統の一戦

 新聞記者・ヤマニシの手記を理解する上で必要ないくつかの事項を今ここで明らかにしておきたい。内容についての詳細は私には皆目わからない。私はただ事実を述べるだけであり、これをもってヤマニシのたどった数奇な人生を理解するうえでの手助けとなれば幸いである。

 19××年に県立ワカサギ高等学校と州立セントマリアンヌ女学院との間で繰り広げられる伝統の一戦の内容は一般には公開されていない。そもそもどんな伝統が根付いているのかすら外部の人にはわかっていない。卒業生はもちろんその一戦を経験したのだろうが、どの人を問いただしてみても「教えるわけにはいかない」との一点張りとなってしまうのだ。国内でも有数の凄腕ゴシップ記者M氏が県立ワカサギ高等学校に468日間張り込んだ結果によると、秋の深まる11月の昼下がりに突如として現われた馬の群れが校庭に勢揃いしたのだという。その馬たちがどこからやってきたのかすらわからず、乗っている女学生たちは全員黒ずくめにフルフェイスの怪しげな出で立ちだった。「全身覆ってるならなんで女学生ってわかるんだよ」との突っ込みをうけたM氏は数日後に精神崩壊を起こし島の上の隔離病棟に収用されたという。

 M氏のデスクを引き継いだ人物こそがヤマガタであった。彼はM氏の書類を整理する最中、伝統の一戦について興味を抱き、とっとと別の事件について調べてほしいという新聞社の方針を裏切って独自に調査を開始した。20××年の秋のことである。

 県立ワカサギ高等学校の所在は全国的にもはっきりしており、ヤマガタが目を付けたときにはすでに廃校となっていた。川辺に大きな校庭を有するこの学校は見た目こそ立派だったものの、設立されたのがN県の片田舎ということもあり少子化の煽りを受け、わずかに三人だけの卒業生を見送った後にその役割を終えた。今存在している校舎にはツタが蔓延り、ひびが割れ、肝試しにやってきたアホな若者たちの巻いたコンビニ弁当の空き箱で埋め尽くされている。「そんなにコンビニ弁当ばかり集まるのは異常である。何か特別な秘め事があるに違いない」とテレビの怪しげなおばさんコメンテーターが息巻いていたが、大きなお世話である。コンビニ弁当で三食済ませる人間が贅沢だと言うことを知ろうともしない酷い女だ。家畜になるだけ豚の方がマシである。言い過ぎか。

 州立セントマリアンヌ女学院については謎が多かった。そもそも州立ということはわかっているがそれがどの州に属しているかもわからないのだ。それなのに州立という呼び名が広まっているのはM氏の綿密な張り込みと聞き込みの成果であり、突如として現われた馬たちに乗っていた人たちがメガホン片手に宣誓を述べている中でその学校名を聞き分けたのだという。M氏の残したテープレコーダーにもその宣誓は記録されている。話しているのはセントマリアンヌ女学院のススキガハラ某という生徒である。彼女の名前を検索してもやはり結果は出なかった。

「そもそも伝統の一戦がなんなのかわかっちゃいないのよ」

 県立ワカサギ高校に通っていた一人、皆川香津美さんはこう答える。

「私が生まれたときにはもう伝統も終わっていた。すごさだけが広まって、生徒たちの間に語り継がれているってわけ。セントマリアンヌがどこだかも知らないし。知らないところなんだけど、有事には旗を掲げるの。意味なんかみんな知らないの」

 ヤマニシは行き詰まっていた。およそ五年間、ヤマニシの手記には新しいことは何も書かれなかった。その五年後に、ヤマニシはひとつの閃きを表題として掲げた。

「失われた伝統は形を変えて根付いているのではないか」

 県立ワカサギ高校はどこにでもあるような平凡な県立高校である。五年前にも再三に渡り足を踏み入れ、インタビューも繰り返したが、伝統の一戦についてのめぼしい成果は得られなかった。だが、今度のヤマニシは生徒手帳を読み込み他の高校との差異を見つけようとした。そうして発見したのが次の一文である。

「女子はうなじを見せてはいけない」

 ヤマニシが確認したところ、県立ワカサギ高校の女生徒は全員が後ろ髪を下ろしていた。このことについて校長に質問したところ、「昔からそうなっておりますので」と曖昧な表情で答えたらしい。実際似たような校則を掲げる高校の例も存在していた。だがヤマニシはこの校則に強く惹かれ、以後女子のうなじそのものの研究へとシフトしていった。

 昨年末の家宅捜索でヤマニシの自宅から押収された女子のうなじのスナップ写真は10000点を超えている。日本全国を回り撮影されたそれらの写真は事件の重要な証拠書類として警察が保管しており、その内容をすべて確認できてはいないが、リークされた画像を見るにその多くが女性の斜め後ろから隠し撮りをするかのように撮影されていた。

 ここからは私の推測である。

 ヤマニシが被害者の女性たちの喉を切りつけたのは、この写真集めと関係があるのでは無いか。つまり彼は、首に見られる何かの特徴を頼りに斬りつける対象を探していた。それはおそらくセントマリアンヌ女学院に関係する特徴である。斬らなければならない理由はヤマニシ本人に確認するしかないが、ヤマニシ本人セントマリアンヌ女学院との関係が見られない以上は、人間全体への驚異を予測してのことだったのではないだろうか。

「私に述べられることはこれがすべてである。ヤマニシ本人のプライベートな事柄については関知していないので答えられない。事件に興味はあると言えばあるが、私にだって生活があり、平穏な日々を臨んでいる。これ以上踏み込むつもりもない。このメールでの返答もこれきりとさせていただきたい」

 

 長い書き込みを終えた私は伸びをした。コーヒーでも飲もうかと思案し、ふと気になって首を撫でた。皮膚があり、管の感触があり、のど仏がある。それ以外に何もない。みつけたとすれば、しるしか、突起か。

  首を振る。もう関わらなくて良いのだ。自分自身にそう言い聞かせる。首は触りやすくていけない。

 窓を見やる。雨空は分厚く空を覆っており、しばらくはいくらの晴れ間も見せてくれそうになかった。