雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【感想】煤煙(ひざのうらはやお)

第二十七回文学フリマ、会場で友人と会い、どんな本を購入したかという話題になった。

真っ先に手に取ったのがこの煤煙だった。この時点ではまだ読んではおらず、手を伸ばした先にあったにすぎない。

「浦安を舞台にしたスチームパンクらしいよ」

友人は笑ってくれた。説明しやすいのは良いことだ。とはいえ、このときの僕はまだ未読であり、このフレーズは当日ブースにいた作者氏から聞いたことそのままだったが。

 

僕は生粋の埼玉県民である。遠景にはいつも山が連なっていた。大学時代になって初めて千葉県民と接触した。浦安出身者もいたのかもしれないが、東京で鬱屈としているうちに学生生活は終わった。ゆえに浦安は縁の無い場所だ。

スチームパンクとは蒸気機関を中心とした機械文明が発達したという例のアレで、上手いことまとめようとwikipediaを開いたら頭が痛くなったのでやめた。必然的に異世界となる。現代文明とは違う、肥大化した近代技術。この世界とは異なる世界。

縁もゆかりもない土地を舞台とした、今とは違う世界。そもそも今の浦安の状況を知らないのが若干気になったが、差し支えは無かったと、読み終えてみて改めて思う。

 

大三角を望む

通勤途中に市電に乗った男の物語。この市電は大三角線と呼ばれており、大三角とは、かつて存在していた三角州を指している。かつては貝の生産地だったが、工業化により埋め立てられ、すでに失われた場所だ。

大三角のあった干潟にあるのは、工場群と、主人公曰く、理不尽な死と生が、煌びやかな旅籠で繰り広げられている人工島。これらの土地は後の話にも登場する。

鉄鋼業の発達したスチームパンクの世界では工場群と大人の街が広がっている。主人公はただひとこと、地獄とその地を形容する。

市電には主人公の他に女子高生が乗っており、ただならぬ雰囲気を感じた主人公が近くに座する。市電は進み、やがて市電が鼠街に達する前に、女子高生は下車し、主人公はささやかに安堵する。この作品中における浦安の日常を端的に上手く切り取った小編だった。

 

祝砲

境川という、前話の中にも登場した、浦安市内を縦断する川その河岸で結婚式が行われている。主人公は警備をしている市職員。

作中の雰囲気は明るい。元よりハレの日だ。祝福のための号砲であることはすぐにわかる。ただ、その平和がとても珍しいことは、主人公自身が想起していることでもあるし、市職員にまで拳銃が配備されている状況を見るにしても、うかがい知ることが出来る。

精油灯機、活字を打つなど、ところどころに挟まれるスチームパンク的ワードが楽しい。

 

老人と猫

前話がハレの話であれば、こちらはその反対だ。人知れずに、男が一人、境川の中に潜む何者かに引きずり込まれる。話としてはそれだけで、正体も実態も、何が起きたのかさえもわからない。

前話と対になる形で、祝福の場所が一転して、姿のわからない畏れを抱かせる。シンプルであるがゆえに印象的だった。

 

桜の木の下には

都市整備部の職員が昼食を食べている。都市整備部とは先の大三角を望むに登場した主人公と同じ職場だが、関係があるかはわからない。

どうやら新婚であるらしく、快活に笑う仕草などから明るい性格の片鱗が窺える森山と対照的に、主人公は庁舎や社会に対して、地の文のところどころで呪詛を吐く。それでいて、諦観も持っている。自分一人で戦う気はないのだと。

そのような主人公が、最後の台詞を押し隠したのは、僕には照れ隠しのように思えた。

 

夜更けに咲く灰色の花

煤煙内では最も文章量が多く、また単純にストーリーもエンターテイメントのように起伏が激しい。

度々名前の登場する鼠街が本格的に舞台となる。先にも書いたが、夢の国の変わりようは発想からして面白いし、工業化社会の奥地で蔓延る貧困や鬱屈が感じられる。スチームパンクとは異世界だと先に述べたわけだが、この回が最も顕著なのではないだろうか。過剰な発展は人間性の喪失をもたらす。力強い企業の力の裏側で、虐げられる人々がなおさら深みにはまっていく。

サスペンスとしてもよくできているとは思うのだが、それ以前に、作品全体の雰囲気をまとめあげる役割を果たしているようにも感じられた。

 

船底の秋風

船底というのは通りの名前だ。浮ついた世界でも歴史ある街でもない、ちょっとした繁華街。主人公はその通りにある銭湯で働いている。

派手な展開でもないし、羞悪な感情を掻き立てるのでもない。作中の言葉どおり、濁っていく街の中で、唯一の光を見出すお話だ。こんな街も浦安なんだと、そういうことでいいのだろうか。

 

鉄屑

新町地区という工業地帯で働く工員の、とある事故にまつわる物語。

作中では工業化する浦安の変貌にも触れられている。今更だが、このスチームパンク的浦安の風景を象徴しているのが肥大化した工場地帯であることはもはや疑うべくもないだろう。

公務員や、浮世離れした鼠街、繁華街の若者と比べ、このお話の主人公は実直な働き手だ。着実な進展を遂げた街の中で、工員たちは必死に働いてきた。その担い手のひとりに焦点があたり、一時の挫折と再起が描かれる。読み終えてみると案外ストレートで、地に足着いた文体と最も調和していると思った。

 

夏、平成、「あたり屋」

猫実地区の小学生二人組の物語。平成最後の夏という、今年いっぱい創作界隈を賑わせたお題目に目を眇めて読み進めていると、最後の最後で思わず声が出る。この物語はスチームパンクであり、それは必然的に、現実とは異なる世界だ。それでいて、暮らしている人は現実と変わらない。後ろを向く大人もいれば、前を見据える子どももいる。そんなことを思いながらの読了だった。

 

 まとめ

僕は浦安のことを知らないし、作中の説明がどこまで本当なのかはわからない。それでも問題なかったのは、説明そのものが豊富であり、なおかつ適切な場所に配置されていたお陰で物語に没入しながらも頭には行ってきたからだろう。各話は長くても20ページほどでまとまっている。その中で説明をストーリーを同時に展開することは本当に難しい。ページ数からしても、満足度の高い一冊でした。