雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【感想】盤上の敵(北村薫)

北村薫作品の中でもとりわけ異質な作品がある。

そんな噂を聞いたのはいくらか前のことだった。

日常の謎で、人間の悲しさや優しさを、読みやすく染みいるように語ってくれる。

僕が持っている北村作品のイメージはそのようなものだったので、異質というからには人間の残酷さが描かれているのでは、くらいの認識でいた。

 

この夏にようやく、読む機会を得た。

猟銃を奪う描写から始まり、立てこもり事件が発生する。その家の亭主と、彼の妻との二つの視点が交差する。妻の方は過去の物語を誰かに語るスタイルだ。

表現力は遺憾なく発揮されている。何気ない日々の描写に奥行きが広がっている。このあたりは他の北村作品と同じだった。

序盤戦が終わる頃には、主人公の二人の人間性は明らかになる。この二人には傷ついて欲しくないと思わせられ、先に触れた噂のことを思い出して暗澹としながら、ゆっくりページを捲っていった。

 

おかげさまで、すべてが裏目に出た。

異色ではあるが、異質ではない――解説に記載されているこの言葉は実に的を射ている。

この作品は他の北村作品と何も違わない。

そこにあるのは日常だった。優しささえも同じだったと言えるだろう。

だから多分、僕の認識が甘かっただけで、日常は決して、甘いものではなく、そこには悪意があるし隠れてもいないのだ。

 

桂の林の描写が余韻を残す。

ハートの形をした葉、と作中では描かれているのに、最後には心臓と描かれている。

たったそれだけで印象が違う。ハートだったらかわいらしいシンボルだ。

心臓といえば急所のことだ。機能からして命と言い換えても良いだろう。

その心臓に囲われて、優しい世界を祈る。その切実さがとても苦しかった。

 

盤上の敵 (講談社文庫)

盤上の敵 (講談社文庫)

 

 

以下、ネタバレあり感想

 ここからはネタバレあり。

作品の内容については知っている前提で話します。

 

読み終えてからちょっと時間をおいてるんですが、それにつけても怖すぎる!

何が怖いって、これ全部主観で書かれているんですよ。だから、本当のことは誰にもわからない。

友貴子は三季のことを絶対悪として思っているし、そう予感させる描写もあるけれど、読者は全て友貴子の主観を通してしか三季のことがわからない。

 

物語の中でひとつ、そのことへの言及がある。末永の、おそらくは友貴子の過去を聞いてからの回想で、あまりの残酷な話に本当のことなのだろうか? という疑念が一瞬去来する。

だけど結局末永は友貴子を信頼することになる。友貴子のしてしまったことを隠し、優しさのみに突き動かされて、全てを隠蔽する為の戦いを始める。

読み手としては、三季のことを絶対悪として認識したくなるんですよ。そうでないと浮かばれないんです、この物語は。

でも実際に行動だけに着目すると、大人になった三季がしたことは声をかけたことだけなんです。あとは殺害されたという結果だけが末永に突きつけられる。それを見て末永は友貴子を助けるために工作を始める。

 

一番怖いと思うのはここです。

友貴子も末永も優しいんです。優しいがゆえに全てを隠す。この何事もなかった日常を取り戻す。

これは優しさに向けての祈りの物語なので、その祈りそのものが瓦解してしまうほどの残酷さは描かれない。だから最後は夢のような描写で終わる。生への祈り、日常への回帰。この世界が真に穏やかなものであることへの祈りです。

でも、多分それが夢であることが逆説的に、現実の照射になっている。現実は残酷なんです。優しさに満ちた世界は、夢の中でしか存在しない。

 

現実的な話として、末永と友貴子は、もう二度と同じような形で対面することはできないでしょう。人を殺しておいてそれはもう、無理です。社会が許さないし、罪の意識がこのまま見えないままというのも現実的じゃない。

序文で北村薫さん本人が書いているわけです。このお話は慰めや安らぎを得たい人には不向きです、と。

読んでしまったら、知ってしまったら、もうそれを見なかったことにはできないんです。現実が残酷であることを、優しさそのものが悪の裏返しであることを、読み手は忘れることはできないでしょう。

 

盤上の敵、巧いタイトルです。相手は自分の敵だし、相手にしてみたら自分は敵なんですよ。