【感想】カメラを止めるな!【ネタバレあり】
ネタバレされる前に観るべきだし、できれば何も情報を仕入れない方が良い。
とりあえず人に感想を聞かれたらそう答えようと決めている。
何しろ僕も最初にそうしていたからだ。
自分でやっていたのだからわかる。
人はこう言われると絶対粗探しを始める。
で、映画を見始めると面食らうわけで、長回しのカットが終わった段階でいろんなことに気づき始める。
嵌められた! って、気づいたときにはもう遅かった。
もうね、粗探しそのものが罠なんですよね。
何しろ「どうしてこの演出なんだ??」と気になった箇所が多ければ多いほど、後半で思いっきりのカウンターをくらうのだから。
今月は割と映画を観ている方だけど、これも夏休みだからで、普段は月イチも観れば良い方です。
地方暮らしなので、映画に集まる人も、家族連れとか、暇を持て余したおじいさんおばあさんとかが多い。
ただの偏見かも知れないけれど、映画好きの集まるような環境だ。
『カメラを止めるな!』を観たのもそんな感じで、ただ多分前評判が伝わっていたらしく、席が予想より埋まっていてこちらは面食らった。
そして終わったあと、というかもう途中から、そこら中で笑い声が巻き起こっていた。
つられることはあるもので、僕も腹が痛くなるくらい笑った。
ひとりで映画を観ているときに声をあげるなど、普段なら絶対にないことだ。それができてしまったのは、笑ってもいいと思える雰囲気が劇場全体を支配していたからだろう。
堪えきることはできなくて、思う存分笑うことができ、終わってみるとひたすら爽快な気分になっていた。
結局直接的なネタバレは載せない。
逐一書き表すのも野暮だ。
ネタバレをしないからこそ面白かった、ということだけでもここに載せておきたい。
あとひとつ、書いておきたいのが、説明がとても少なかったこと。
なんだかつい最近も、小説には説明ではなく描写を書こう、みたいなツイートが流れてきて、ちょっとそれに乗っかっているような気もするのだけど。
『カメラを止めるな!』は説明がとても少ない。
画面で状況がわかるようになっている。
説明のために、ひとつネタバレ込みで例を挙げると
たとえば外でヒロインがゾンビと取っ組み合いをしているところで、メインのカメラマンが突き飛ばされて倒れてしまうシーンがあった。
ここで、「動けない」とか、その手の説明は一切無かった。
補助のカメラマン(呼び方がわからない!)が、固まって倒れているのを見て、カメラを見て、それから自らカメラを持つことにする。
ここで何か、「私が代わりにやります」とか、そんな台詞を加えていたら、それは説明になってしまう。
で、話はこれだけじゃ終わらなくて、その後ヒロインを追いかけたカメラは、追いかけてくるゾンビを、ズームインとズームアウトを交互に繰り返すださかっけえ演出を繰り返す。
そしてそれを見たスタッフが「何これ、ださかっけえ! カメラ変わった?」とコメントする。
ここで初めて、補助のカメラマンが、この演出をしたいためにカメラを奪ったのだとわかる。
事前にカメラマンがこの演習を好んでいたこともちゃんと表現されているし、何も言わずにカメラマンが抱えていた欲望が見えてきて、とても痛快だった。
いずれも描写で語っていると言える。
だいたい人の心の内側も、その欲望や願望なんてのも、普段の生活では全然見えないし、みんなひた隠しにしている。
それが一瞬感じられる、しかも説明、つまり何らかの作為なしに、パズルのピースが当てはまるみたいにして理解できる。演出ってすげえなあと思った次第です。
同じことは、映像の最初の、監督役の監督がぶち切れるシーンでも言える。
熱心に演技していると受け止めることもできるけど、アドリブだというつっこみが入って、実は役者への恨み節だったのだとわかる。
これもまた、内面がちょっと見えちゃったところで、やっぱりこれも面白い。あれが中途半端な恨み言や陰険な態度だったこうはならない。ちょっといきすぎってくらいに振り切れているのがなお面白い。
振り切れているって言えばもう、全体がそうで、個人個人の思惑が過剰なくらい出てきている。
面白いと思う根底は、多分、登場人物たち全員が自分の感情を前面に出してくれているからなのかもしれない。
とにかくひたすら痛快なんだ。
良い映画でした。
調べてみると、最初は新宿と池袋の二館だけでの上映だったようで、少しずつ上映館を増やしてくれているのはまことに心強いです。
自分も機会があればもう一度観たいですね。今度はわかった上で、眺めてみたいです。