第7回テキレボ参加私的レポ
極めて個人的なレポートですし、まとまりもなくてすいませんが、テキレボに行ってきたことに関するあれやこれやを書いていきます。
7月の初めに敷き布を買った。
テキレボの出店に向けて、頒布本の下に敷くためだ。
それまではブースに宛がわれた机の上に剥き出しで置いていた。
何年か前の東京文フリにて、初めて出店しようと思った際に、とあるサークル主さんに質問したことがった。
「出店に必要なものって何かありますか」
漠然とした質問に、その人も困った様子だったが、ややあって「敷き布くらいはあった方がいいと思うよ」と教えてくれた。
その声が蘇ってきた、格好つけていえばそういうことである。
むしろ今まで蔑ろにしてきたのだから、聞いた相手には悪いことをしたと思う。
敷き布はダイソーのものだと薄っぺらく、近所のホームセンターのものだとごてごてしていた。
ちょうどいい敷き布を手に入れるためには布屋にいき、素材を確かめ、大きさについて店員に指示を出し裁断してもらう必要がある、ということを初めて知った。
不安はあったが、やってみたら拍子抜けするくらい簡単だった。
自室でレイアウトの練習をした。敷き布をベッドの上に置き、本を並べ、名札ケースに値札を差し込んだ。撓んだ床面はどうしようもなかったが、色味は確認できた。
頒布予定の三冊はいずれも青系。濃紺の敷き布は、本を際立たせてくれた。
今まで敷き布を買わなかったのは、それらの商品を引き立たせることに重要さを感じていなかったからだろう。
頒布する意識はなかった、とはいいきれない。でも多分強くは思っていなかった。
今年の二月、僕は東京文フリに出店申し込みをするのをすっかり忘れ、五月は一般参加をすることにした。
楽しかったし、満足だった。やる気も湧いて、そのままの熱量で『火竜』を書き上げた。僕にしては評価をもらえたので、これもまた満足だった。
お金がかからないのが魅力的で、無理して出店する必然性は相対的に萎んで見えた。
このたびの新作、『台車は虚空』を頒布しようと思ったのは、昨年『時をかける俺以外』が売り切れたときに、次の作品として白羽の矢を立てたからだ。
ブーン系で発表した際に手応えを感じた作品だった。もっとブラッシュアップすれば、と思っていたが、忙殺されてうまくはいかなかった。
だからテキレボに出ようと思った。
半年前の僕ができなかったことをとりあえずやっておこうと思った。
分的な意味での帳尻合わせであった。
書くことに悩むということは今までも何度もあった。
そもそも自分は何を伝えたいのか、わからないまま時間が過ぎていく。
お金を掛ける気力は湧かなかったので手製本を選んだのだが、湿気にプリンタがいかれたり、結局インクをパックで買わなきゃいけなかったり、そもそも時間が掛かったりと、思い通りはいかなかった。
製本テープを貼るか、ギリギリまで迷った。ホチキス止めしたら案外様になった。もうこれでいいんじゃないのか、積まれた『台車』を見ながらそんなことを考える。結局は、現場で「これで金るんですか」と言われそうなのが怖くて半日かけて製本した。
当日、僕の隣のブースではホチキス止めしていない自家製本が頒布されていた。概念の崩壊である。100円だった。
「クァ~、マジか」
なぜか、やられたって気がした。
名前出さずに進めることは不可能なので、結局名前を出すのだけど、その人はずんばさんという人だった。
別にホチキス止めがないことが有名なのではなく、東日本大震災の被災地巡りをテーマにした小説を頒布されている方で、僕もtwitterで見かけたことはあったし、多分当日の二日くらい前にカタログをチェックした際にフォローした。当日僕は本気で驚いていたので、多分フォローしたときにブースは目に入っていなかったのだろう。
僕はずんばさんと話をした。
この短い文章にはいろんな意味が込められている。
まず僕は自分から会話を振ることはない。絶対にない。断言できる。
二十余年そうやって生きてきて、仕事の中でだけまともに話し、敬語以外の文体は忘却の彼方に置き去りにしてさらに数年が経過した。
だから僕から話をするわけがない。
話しかけられた、と思う。だが、どんなふうに会話が始まったのか、まるで思い出せないのだ。
それはずんばさんが席を立つ際に「ちょっと空けますね」となぜか僕に言ったときだったかもしれないし、レイアウトの裏側が割り箸で固定されていることに気づいたときかもしれない。
とにかく気がついたら会話が始まっていて、僕の手には『イリエの情景』と夏コミ用のペーパーが握られていた。
続けざまにずんばさんのリュックが板とビスとキャスターで改造されていることやポスタータワー含め諸々が自作であることを知った。
知った。
どうして知ったのか。
訊いたからだ。
ずんばさんとの会話は短く見積もっても一時間以上に及んでいた。が、その間一方的に話を聞いたわけではなく、僕は自分からも質問をして、会話を成立させていた。
今まで僕は意欲を失っていたと思っていた、が、話をして、レイアウトの知識を無意識のうちに仕入れようとしていた。
これつまりどこからどう見ても売るつもりのある出店者であるわけで、ここにきて初めて僕は敷き布を買った本当の理由に思い当たった。
たまたま思い出したわけじゃないし、帳尻合わせでもなかった。僕は自作をまともに売りたがっていた。やる気はあったのに見ていないだけだった。
概念の崩壊だった。
ずんばさんが知人らしき人物と会話している隙をついて僕は挨拶巡りをし始めた。この時点ですでに二時を回っていた。
蟹合同に参加しようとして弾かれた身としては是非とも購入したかった木村凌和さんに寄って蟹合同を無事入手する。自らが食べられることを喧伝する蟹を見つめていたら腹が減った。食いっぱぐれていた。しかたないよね。
宇宙遊泳MAPとしては是非とも挨拶しておきたかった夕凪さんと対面し、明らかに見本用に置かれていた『神域のあけぼし』をかっ攫う。お財布の都合で一冊のみを購入した。確か数年前にテキレボで最初の方だけペーパーでもらった気がするのだが、どこへいったかなあ。
そんな道中だった。列挙するのに疲れたわけじゃないわけがない。詳しくはtwitterを見てください。
ブースに戻るとずんばさんとの会話が始まり、テキレボに紛れ込んでいるレジェンドたちの話をしてくださった。
あまり詳細に書き込むとあらぬ疑い思わぬ反感諸々掛けられ最悪タヒぬってなもんで書かないんですが、いっぱいいましてびっくりしました。
テキレボは四時に終わる。コミケと同じである。
絶賛いなかぐらし中の僕はとっとと退散するのだが、流石に帰路の名残惜しさは大きかった。楽しかったのは疑うべくもない。
テキレボに初参加したときは、僕はとあるオンライン上の文芸サークルに所属していた。(いい加減そっとしておいてやれと自分でも思うので名前は伏せる)
そのサークルがテキレボに一度だけ参加して、そのあとに僕が個人で参加をした。
その頃は活動歴が二年程だったのでミニブースと称された狭いブースでの頒布だった。
テキレボ内企画というのも、やっておいた方がいいんだろうな、程度の認識でいた。実際あちこち手を出して、なんとか体裁だけは取り繕った。
テキレボというお祭り空間に自分もコミットしてますよ、という体裁。
だから、ってわけじゃないけれど、それから昨日までテキレボに出店はしなかった。
小説だけ書いてればいいと思ったし、実際仕事も忙しいし、無理をする必要性を感じなかった。
でも、まあ、無理をするのもいいのかなって、少しは改めることにした。
レポートはこれで終わります。
私的な内容オンリーですいません。
何だかんだで関東圏の僕は、次は東京文フリかコミティアを目指します。
これから動き出さないとなので、しんどいかもしれないけどね。
目標は『火竜』こと『火竜の僕は勇者の君と一度も言葉を交わさない』の書籍化です。
火竜の僕は勇者の君と一度も言葉を交わさない(雲鳴遊乃実) - カクヨム
いけるかどうかわかりませんが表紙を依頼する努力をしたい。
悩みながら書いたせいか、思い入れもありますので、大事にしていきたいです。
大変長くなりましたが、それでは今後とも、雲鳴遊乃実をよろしくお願いいたします。