雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【感想】月と蟹(道尾秀介)

 道尾秀介で思い出すのは、『向日葵の咲かない夏』だ。大学時代に読み、泥の中に沈み込んでいくような不穏さが癖になり、真実が明らかになったときは息苦しさを覚えた。後に弟に貸し与えて、あまり好意見が返ってこなかったことにモヤモヤもしたのだが、今となってはなんとなく気持ちはわかる。読んでいて気持ちの良い部類の話では決してないからだ。

『光媒の花』『鬼の跫音』を読んだのち、しばらく触れずにいたのだが、先日エッセイ集の『プロムナード』を読み、再び道尾秀介という作家に興味が湧き、同版元の『月と蟹』を購入した。

 

 海沿いの街に祖父と母とともに暮らす小学生の慎一は、友人の春也の提案で、洞穴の中に潮だまりを作り生き物を育てる遊びを始める。昂じてヤドカリを炙り殺した火、偶然願い事が叶ったことから、海で捕まえたヤドカリを洞穴に運び、願い事をしながら炙ることが習慣となる。願い事は不思議なことに次々と叶えられていく。

 かつての海難事故で、慎一の祖父は脚を失い、級友の鳴海は母を失った。その鳴海が神社の祭事に参加しているのを見学したときに、彼女の父親を慎一は目撃し、とある事情から自らの母親との関わりを疑い始める。

 父子家庭で育つ鳴海の本音を聞いた慎一は、彼女を洞穴に連れて行くことを思いつく。それが春也と慎一との間になった繋がりに歪みを生むことも知らずに。

 

 暗く沈み込むようなイメージが、読んでいる間ずっと身体にまとわりついているかのようだった。飛び抜けた暴力が振われるわけではないのに、破滅への予感や、登場人物たちの見え隠れする悪意により、読む側の胸が締め付けられる。

 子ども時代に見上げた大人たちが多くの嘘をついていることを一体いつから認識できていたのだろう。それらの嘘に気づいたとき、長くは触れていたくない、できることなら目を瞑っていたいと思うことがいくつもあったような気がする。

 

 子どものままでいたかったと思うのは、いつだって大人になってしまってからのことであり、当然ながらもう元には戻れない。

 そして思い出は、いつしか美化される。キラキラと輝くものに囲まれていたような気がする。洞穴に溜る死臭や、おどろおどろしい風の反響に、素直に恐怖を抱いていた頃をいずれ僕らは忘れてしまう。

 そんな、忘れてしまっていた気持ちが呼び起こされる。誰しも感じたであろう大人との違い、その壁への苛立ちと恐怖が作中には散りばめられている。

読み終えたときに、僕はある種の安堵を感じていた。この息苦しい沈水から戻ってきたことを喜んでいる自分に気づき、誰に対してというわけでもなく悲しくなった。