【感想】音楽の海岸(村上龍)
村上龍といえば、僕はときどき作品を手に取るのだけど、いつも途中で読むのを止めてしまったり、読み終えてもうまく言葉がまとめられずに放置してしまう。
とはいえいつまでも何も書けないのもつまらないので、せっかく読み切ったことだし何かしら残してみる。
『音楽の海岸』は九〇年代の小説で、中上健次に捧げられたとされている。これは七〇年代の対談が元になっているらしいのだが、詳しいことは僕にはわからない。
主人公のケンジは顧客に女を提供するビジネスをしている。顧客からの依頼である人物の抹殺を頼まれ、周辺の女たちなどと会い、情報を集めていく。
描写は緻密だけど、場面転換は短文なので、気がついたら別の人と話しているように感じられる。そのあたりが苦手なんだろうなと思いつつ、でもじっくり読んでみると気にならなかった。描写される人間たちに意識を向けると楽しいし、読んでいる自分との違いにくらくらした。時代の違いは関係ないだろう。むしろこの多様な人々は世間の中で増え続けているんじゃないだろうかと考えたりもした。社会の抑圧は多少なりとも減っているし、発表する場も機会も増え続けているわけだから。
ケンジは音楽が嫌いである。音楽を知らないわけではなく、知った上で嫌いだという。
音楽は誰かに聴かせるためにある。誰かのため。あるいはそう見せかけるために歌があるとして、それを主人公は嫌いだと言っているのだろうか。
ありはしないものをあるかのように見せつけている、この国のいたるところに蔓延る音楽。あるいは言葉。
それを嘆くということさえ、僕にはできないのだけれども。