雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

ドラクエ11感想(ネタバレあり)

秋の初め頃にドラクエ11をクリアしてまして、そのときに伏せったーに感想を綴りました。

いつか記事にしようと思いつつ放置していたのですが、思い立ったのでここにまとめておきます。

記事用に整えたかったのですが、時間もないのでほぼそのまま貼りつけますね。

もろにネタバレなのでお気をつけて。

 

ドラクエ11 メインストーリークリア直後の展開への所感
 
今までの体験を踏まえてはじめからにしてゲームをやり直す。
これはもともとゲームのプレイヤーが行える選択名わけだけど、ドラクエ11ではその動作をゲーム側で事前に提供してくれているんですね。

未来に取り残される人が割と感情を込めて引き留めてくるものだから、エグさが増しているんだけど、はじめからやり直すという行為自体はロールプレイングゲームでは繰り返されている行為なんだ。
やり直しについて、物語にのめり込んでいるプレイヤーほど違和感を感じるのは、その選択に、自分の意志が介在していないからだ。ましてこれを主人公の意思だとしても、なおさら違和感がある。それまで主人公の内面は、ゲームのプレイヤーのと同一だったからね。
しかしその違和感は、僕らプレイヤーがゲームに慣れていく一方で忘れさられていった感覚だったのもしれない。やり直すとはすなわち、それまで続いていた世界を全て消し去ってしまうことで、意識しないでも僕らプレイヤーは似たようなことを繰り返していたんだね。
 
ヨッチ村に冒険の書が登場したときには、ドラクエのプレイヤー側に通ずる符号を物語内に提示する方法が斬新で感心したし、上質なファンサービスとして受け止めていたけど、エンディング後の展開からは別の意味が感じられてきた。
ゲームのプレイヤーが忘れている違和感、物語として見たときのゲームの不自然さを抉り出すんですよね。
なんなら2D3D切り替えで微妙にマップズレたり動作が別のものになったりすることも同じ理由で、僕らが見ている演出はそのゲームの中だけに通じる独特なものだったんだと気づかせてくれる。

ゲームをプレイする意識そのものに対してこれほど強く揺さぶりをかけてくる作品を僕は他に知らないです。そもそもそんなにプレイしてないんだけどね。この作品は物語である以前にゲームという表現形態なんだと思います。
 
ところで最後に読まれていた本は、過ぎ去りし時を求めた後の世界の伝説ですよね?
そうしないとロトの勇者とは呼ばれませんから。
たとえエゴであろうとも、可能性を追い求めた人が勇者となるのかもしれない。
 
 
メインストーリーの途中で人魚に恋い焦がれて狂人扱いされた男の話があったのだけど、あれもまた、エゴに通じる話なのかと思った。
周りから見れば否定されるだけど、それにも抗えない思いがあった。

ロトの勇者になるところの主人公の選択だって、仲間たちには否定され、立ちはだかられるわけだけど、それでも主人公は時を遡る選択をする。
現状に満足せず、より良い世界を求める。
今を生きる人たちからしてみたらエゴだ。
そしてそれはプレイヤーの無意識に通じている。

本来プレイヤーが選択するはずの、知っているところからリセットという行為をゲームの方から提供する。それがドラクエ11 の一番の特徴。

イシの村の人たちは、世界を救った勇者が当然村にいるものだと思っている。
でも実際には別れを告げて旅に出る。
二度と戻れない世界に別れを告げるのも同じ構図。
遠いところにいる彼は、噂が伝わり、やがてその世界で伝説になる。

世界が変わったら噂伝わんないじゃん! と思う方もいると思うが、実は、あの世界には時空を超えている方々がいる。
そう、ミニクエストの依頼者は、世界が変わる前にクエストをクリアしたことを何故かその後も覚えているのだ……

冗談はさておき、時の遡りを身体が覚えているっぽい描写からして、魂は同じっぽいし、そのうちきっかけさえあれば記憶も取り戻しそうだよね。
 
なんてことを言っていたら、のちに開発者インタビューや、諸々の検証サイト(時の塔の時間が夕方固定=時間が流れていない、とか)にて、時間の遡りというよりは世界の集束を意識していたことなどが考察されている。まあ裏設定みたいなものなので、気になる方は調べてみたらよいのではないでしょうか。