雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【非感想】『漫画 君たちはどう生きるか』を読んで

 

 

漫画 君たちはどう生きるか

ちょっと精神的にモヤモヤした気分に乗せられ、購入した。前々から気になってはいたものの、どうせ自己啓発の類いだろうと思って忌避していた。

自己啓発であることは疑いようがない。でも感得するところはあった。

特に興味を引かれたのは後悔についての項目だ。ここで詳しい内容を書くつもりはない。この記事は非・感想である。

この漫画を読んでいるうちに、自分にとって何が後悔なのかを振り返ってみたくなった。

 

以下に書き記すのは、後悔にまつわる僕の私事です。

そういったものが苦手な人、僕個人については知りたくない人は帰った方が良いと思います。

 大学四年のとき、突然僕は、なるべく自分から話さないようになった。それまで仲良くしていた人たちといるときも、反応を鈍らせたり、世の中や内輪の話題に疎い態度を取ったり、せっかくの旅先でも楽しそうなそぶりを見せないようにしていた。

文字で見ると意味不明だと思うし、思い返している僕もやっぱり首を傾げたくなる。なんでそんな態度を取っていたのか。そんな態度さえ取らなければもっと気持ちよく大学を卒業できたろうに、というのが僕の後悔。なのでこれを振り返ってみたいと思う。

 

何も知らない、楽しそうに見せない素振り。これらはつまり、無関心を装いたかったのだと思う。簡単には靡かない、自分のスタイルがあるかのように見せたかったのだと思う。平たく言えば格好をつけていたのだろう。自分がただ者ではないと演じることで、自分の自尊心を保っていた。

逆を言えば、僕の自尊心は当時、危うい状態だった。

大学を卒業するにあたり、周りの人たちは徐々に社会人を目指していった。それまで熱中していた趣味の事柄を卒業したという報告が耳に入ってきたりもした。それと比較して、自分は終始大人になりたくないと思っていた。いつまでも趣味は大事にしたかった。だったらそれを貫けば良かったのに、僕は周りの人のことを気にしてしまう性格でもあった。だから、大人になりたくないといいつつ、大人になれない自分を恥じてもいた。

 

当時の僕は実家で暮らしていて、生活に対する諸々を親に頼っていた。自立できていない自分を後ろめたく思い、ひとり暮らしをさせてくれと頼んだこともあったが、通えるのだから金の無駄だろうと一蹴された。どう考えてもその通りなのだけど、当時の僕は自分を自立できていない人だと思い込むようになっていた。

しかし、別に親の庇護下にあるからといったって自立できないわけじゃない。家事を分担するだとか、自分の役割を明示することで、自尊心を保つことができたはずなのに、僕はそのまま何もしないでいて、後ろめたさを噛みしめていた。

 

後ろめたさがそのまま大学での生活にも現われて、無関心を装った。びっくりするくらい自分のことしか考えていなかった。

大学四年生という期間は一度しかない(もう一度学生に戻るとかそういうことじゃなく)ので、この後悔をいくら考えても先へは進まない。

 

僕の後悔の原因は自分を隠したことだと思う。隠して、大きく見せたがる癖が僕の中にある。しかも、何も言わないという態度によって。それが一番楽に、自分をただ者でなくする方法だからだ。

ここにいたってインターネット上での自分も似たようなものだと思い至る。僕はおそらく、大学四年の頃からまるで成長していない。

 

これを後悔しているのだから、僕が努力すべきなのは、自分を飾らないことだ。自分は大した人間でないことを、自分自身も含めてはっきり見せること。自分を大事にして、他人を疎かにすることが、僕の後悔の根っこになっている。

 

後悔の奥にあるのは恥だ。自分は無知だと知られることを怖がっている節が僕にはある。

何も語らないのは、語ったことが誤っていると指摘されるのが怖いからだ。でも、誤りを認めないと考えは改まらない。考えを明らかにしなければ指摘されることもない。

そして何も言わないのはとにかく楽で、はっきりしない態度は優越感を誘発する。

 

しかしそろそろ、そういう自分を見つめ直す段階に来ている気がする。

だから今、妙に焦燥感に駆られているのだと思う。