雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

小説を書く経緯

 高校一年生のときに森見登美彦の『太陽の塔』を買った。記憶が正しければ、生まれて初めて自発的に小説を購入した瞬間だった。

 自発的といっても、外圧が全くなかったとはいえない。僕の場合は進路指導の先生との面談で、高校生なのだから小説を読んでおきなさいと忠告されたことが発端だった。その人は見聞を広めるという意味合いでおっしゃっていたのだろうが、『太陽の塔』がそのご意向に即しているかは自信が持てない。『太陽の塔』そのものはとても面白かった。小説を読んで達成感を味わったのもこれが初めてだった。

 順番は前後するが、強制的な読書の経験と言えば夏休みの課題図書がある。誰しも経験したことだろう。小学一年生のとき、僕が選んだのは『チョコレート戦争』だった。新・名作の愛蔵版。課題図書は有償で配布されたと思う。夢中になって読んだ記憶がある。一方他の五年間の課題図書で何を選んだのかは憶えていない。いずれにしても『チョコレート戦争』の面白さは越えられなかったと思われる。

 中学生のときは諸々の事情があり、数週間家に籠もっていた時期があった。その頃に読んだのは鈴木光司の『らせん』だった。ホラーと思いきやサスペンス的な要素も盛り込まれており、怖がりつつも引込まれたのだが、やたら描写がねちっこいので途中で断念した。ハリーポッターブームも到来していたのだが、映画との違いを確認するくらいの楽しみ方をしたに留まった。

 こうして描き連ねてみると、読書経験は必ずしも豊富とは言えないと自分でも思う。だがしかし、それならば小説を書き始めたのはいつかというと、実はこれが中学三年生のときなのである。題材はポケモンだった。

 経緯を順序立てて述べる。

 僕は小学生の頃はゲームばかりしていた。プレイングが上手いわけではなく、友達作りに消極的である代わりとしてゲームの単純作業に没頭していた。家族総出のディズニーランドの際にも一日ゲームボーイを睨んでいた記憶がある。碌に外に出て遊んだりもしなかったので、身体は弱くなり、視力も落ちた。見かねた母は僕のゲーム機を親戚に預け、ゲームというものを僕の元から遠ざけた。当時は僕も憤ったものだが、思い返してみるとあのゲーム機の購入費用は全て親の懐から出ていたものであるはずなので、憤る権利など無きに等しい卑小なガキであった。

 さて、ゲームを取り上げられた僕が何をしたかというと、ゲーム機を持っている友達の家に遊びにいった、という展開ならばまだ健全であったかもしれない。実際にはそんなアクティブなことはしなかった。僕が取った手段は妄想だった。それこそ初めのうちは個人的な育成論を頭の中で捏ねくり回す程度だったのだが、次第にストーリーラインを構築するまでに至った。後出しになるが、このとき妄想していたゲームがポケモンの第三世代である。余談だが、この世代は僕がゲームを取り上げられた直後から育成論方面での研究が爆発的に進展した。このときに築き上げられた知識は今なお通用する。もしもこの育成論を知るのがあと数ヶ月流行っていたら、僕の妄想は全く別のものとなっていたかもしれない。

 妄想したストーリーの捌け口は2ちゃんねるだった。小説家になろうもすでに盛んだったのだが、2ちゃんねるの方がすぐに反応がもらえたので快適に感じた。何か不味いことをしても匿名なのでなかったことに出来るという強みもあった。何より居心地が良かった。もっとも僕のしていたことといえば、例えばスレッドが埋まるまで大型アスキーアートを張りまくるとか、人の書き込みにはとりあえず一言を返すとか、自己顕示欲を計るという類いのものであった。コミュニケーションなんてものじゃない。現実で誰とも話していない代わりにインターネット上で勝手にサンドバッグを探していたのだと思う。

 そんな心境で書く小説なので、続かない。反応が無くなればやる気を無くし、批判を見れば匿名で荒らしたりもした。それにも飽きれば本格的に反応が無くなった。そもそも大した見られていなかったのだ。気づいてしまったら拍車を掛けて、何のために書いているのだかわからなくなった。折しも入れるだろうと見込んでいた志望校に蹴散らされていた頃、僕は当時の小説仲間が集うチャットルームに毎晩入り浸り、自分は実は凄いのだと吹聴していた。未だに吹聴という言葉を見るとこの頃のことが思い出される。それくらい見事な吹聴だった。一例を挙げれば、チャットルームに出たり入ったりを繰り返して別人の振りをして遊んだりもした。管理人には一発でバレていたと思う。

 高校時代に小説を読んだ、というのは先ほど述べた通りだ。その後読書体験が増えるのかといったら、そんなにスムーズにはいかなかった。当時はライトノベルブームだったので、友達から『バカとテストと召喚獣』や『ムシウタ』などを借り、楽しんでいたのだが、いつしか読むのを辞めていた。2ちゃんねるまとめサイトをいくつか巡回して、高校生のうちに読めと書かれている本をメモして書店に行ったこともあった。手に取ったのは『罪と罰』で、わけがわからなかった。なんかデスノートっぽいよねと大学時代に友達に話したら呆れられた。思い出深い本である。

 大学受験が迫ると、書くことからも読むことからも遠ざかった。小説を読む意義も見いだせずにいた。受験科目の小説をいくつも見ていたらそう思う人も多いんじゃないだろうか。愚痴はいろいろと抱えていたが、今は置いて、また小説を読み始めるのは大学生になってからだ。手に取ったのは過去の経験から森見登美彦『四畳半神話体系』と『夜は短し歩けよ乙女』で、安定した面白さを誇っていたのだが、その後『美女と竹林』を読んだら急激に熱が冷め、しばらく森見作品に触れられなくなった。それくらい合わなかった。

 他に読んだので憶えているのは宮部みゆきの『模倣犯』だ。他にもあったはずなのだが、何故か思い出せない。あまり記憶に残っていない。

 しばらくすれば大学四年生になっていた。就職活動も終わり、授業もほぼなくなって、することがなくなった。そういえば昔小説を書いていたなと思い出して、関連するイベントを探し回り、見つけたのが文学フリマだった。

 小説を書くことを趣味にしている人が大勢いる。そのことを知ったときの衝撃は大きかった。していいんだ、というのが率直な感想だった。

 とはいえ、この頃の僕はまだ本格的に書く気にはなっていない。せいぜい、これからも文学フリマで面白い本を見つけたいな、と思っていたくらいである。

 話はまた、前後する。

 文学フリマに目をつけたのと同じ頃、見つけたのが、神保町で開催されていた古本まつりだ。古本街が意外と大学から近かったことに驚きつつ、徒歩でこれに参加し、方々彷徨きながら行き着いた書店で四巻セットのある本を買った。これを読むのは、三、四ヶ月後。いよいよもって大学が終わり、社会人になることへの不安がのし上がってきているなか、一抹の達成感を得ようと手に取ったときだ。

 読んだのは、三島由紀夫の『豊饒の海』四部作。

 文字通り、我を忘れて読み耽った。文章で引き起こされている事情に吸い込まれるようにして、熱に浮かされながら先を急いだ。

 論理的帰結とは違う。渾然とした自意識が、気がつけばひとつの方向を差していた。

 感動した。だから小説を書こうと思った。とにもかくにも、それが第一義であった。