雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。創作サークル綾月所属。個人サークル鳴草庵代表。

2017年明けましておめでとうございます。

 僕が干支を初めて意識したのは亥年でした。

 干支というものと年を重ね合わせるようになった、という意味です。

 その年は「猪突猛進」のキャッチフレーズがテレビでよく用いられており、何度も繰り返されるものだからすっかり憶えてしまったのです。

 他に憶えていることといえば、金田一耕助シリーズの特別ドラマが稲垣吾郎主演で毎年の初めに放映されていたことくらいです。何の回だったかも憶えておりません。バラエティも何かしら見ていたはずですが、そちらもさっぱり。

 前回の亥年は平成19年、僕は高校生になりたてでした。そういう意味でも区切りがよく、意識するのにちょうど良かったのかも知れません。

 

 

 翻って、今年は酉年。

 記憶の中の亥年からは10年が経過しました。

 もうあと二年もすれば、記憶の中の亥年は一回り昔の亥年になる。それ以降の干支の記憶も昔のものとなり、新しい干支になんら新鮮味を覚えなくなる。

 そんな逼迫感があるんじゃないかな、と予想しつつ、また年をまたぎました。

 

 10年前は僕が初めて森見登美彦さんの著作を読んだ年でもあります。

 つまり意識して、書店で本を買い、読書を始めた頃です。

 一方創作活動の方は、中学生の頃にオンライン上で経験しておりました。小説を書く、というよりは、自分の頭の中にある物語を掲示板に吐き出すことが主眼です。

 技法もルールもわからず、ただがむしゃらに書いて、途中でやめて・・・・・・結局完結には至りませんでした。

 それでも苦しくはなかった。捌け口だったのです。学校とか家庭とか、人と人の間でのエトセトラが煩わしくて、でも暴れることもできずに藻掻いた結果でした。

 平たく言えば荒らしみたいなものです。真っ当な場所で書く技量はもちろん、そのつもりもなかったわけですから。

 

 高校生になって環境は変わった。前ほどストレスが溜ることもなく、部活なりなんなりに精を出して世間にコミットできていると(自分では)感じていた。

 それでも書くことからは離れなかった。暇さえあれば、発表する場の無い作品の展開や設定等をノートに書き殴っていた。

 当時の僕は、自分で書いておきながら、よくもまあ続けているものだと自嘲していました。それは誰が見ても無駄な行為だったからです。

 

 それが大学生になった頃からぽつぽつ公開へと踏み切りました。

 もちろん寡作だし、勉学やらサークル活動やらをしているうちに一年、二年と放置するようにもなった。でも勉強の方が落ち着くとまた書くことを始めた。

 

 大学四年の夏休みは三日に一万字のペースでした。

 何が原動力かと言えば、やっぱりストレスじゃないかと思います。

 だんだん周りの人たちが大人になろうとする。今まで持っていた個性を否定してまでちゃんとしようとしている。今までどおりでは済まなくなった。

 それが寂しかったのか。あるいは上手くいかない自分が悔しかったのか。

 高校時代に切り開いた活力も、いつの間にやら絶えていて、僕は授業が終わると誰とも会わずに都内を練り歩く虚ろな徘徊学生になっていました。

 

 図らずも都会からは離れた場所が勤め先となり、競争し合う大人の社会からも遠ざかり、置いてけぼりをくらった感傷は鈍った(もっともそんな厭世観は偽りで、本当は田舎社会にもちゃんと大人の世界はあるし、それに気づかなかったからこそ周りの大人から疎まれたりもしたのだけど)。

 でも消えたわけではない。寂しさ、悔しさは今も奥底にあって、時折夢の中とか、都会をうろついているときとかにふっと思い出される。具体的な話にはなかなかできない。抽象的概念としての、先へ進めない自分を認識させる。僕は冷や汗がして、暗がりに逃げてじっとしていたくなる。

 

 しばらくは逃げることを書籍の中に求めた。

 とにかく読んで、読んでいることをアピールして、思いつくままに書いて、承認欲求を満たす。

 昨年には紙の本『翔兎乃音』を頒布した。ハードルがなくなった。自分の作品を売り出せば、その作品は代名詞となって、僕の承認欲求の格好の捌け口となる。そういう気持ちが無かったとは、とても言い切れない。

 しかし、『翔兎乃音』の完成とともに別の思いが湧くようになった。

 それというのも、この作品、なかなか完成しなかったのである。

 まず一番の原因は推敲だ。一度書いた文章を、しばらく(おおよそ一週間程度)放置して読み返す。すると、なおしたい箇所がたくさんみつかった。それらに手直しして、また三日ほどしたら、またなおしたいところが見つかった。いくらやっても終わりが見えなかった。結局入稿予定日の朝六時まで作業が続き、眠い目を擦りながら印刷所へデータを持ち込み(なんとなく手で持っていきたかった)、修正箇所が見つかったのでデータ入稿することになり、満喫でデータを送付して、その場で寝た。

 

 この経験は、今だから言えるが、楽しい経験だった。

 何かを作り、完璧を目指すことは楽しい。

 どうしてこんなことをしたかというと、読者の存在を想定したのである。

 人に見てもらう以上、誤字は恥ずかしいし、もとより物語として破綻していたら申し訳ない。そしてあわよくば、面白かったと言ってもらいたい。

 オンラインから離れたからこそ、それに気づいた。人と関わるのは本質的に楽しいことなのだ。好悪はすなわち駆け引きで、煩わしさももちろんあるが、あれこれ考えて執筆するのもまた楽しい。

 そんな気づきが、今年の創作活動に示唆を与えてくれた。

 

 拙作『From AI to U』の取り組みは2016年の初めからだ。

 全七章(後にエピローグが加わる)という物語。大まかなプロットは、まず全三章までできていた。取り急ぎ一話だけを仕上げて、残り二章、三章を書いているうちに次のプロットを練るつもりでいた。

 なぜいきなりこんな長編を書いたかというと、長ければ長いほど完成度を高めるときの楽しみは大きいだろうと楽観したからである。

 実際には完成度の高さを目指すまでもなく、三章以降がまったく思い浮かばないまま五ヶ月が経過するというおぞましい事態になった。

 一応書き出してはみても、次の週には書き直す。また書き直しても、次の週にはまた別の話に書き換える。

 そんないたちごっこを繰り返すうちに締切が迫ってきた。背に腹は代えられない。思い浮かんでいる話のうちで一番まともなものを選んだ。

 

 『From AI to U』の後半はそんな心境の中で書いた。

 いろんなことを察していただければ幸いです。

 僕としては、そんなに悪くないかな、とも思いつつ、やはりやりきれない部分も多々ある。

 真っ先に悩ましいのは、結局僕が書きたいものがなんなのか、すっかり自信がなくなってしまったことだ。

 

 以後、長編にまつわる何のアイデアも思い浮かばないまま、こうして新年を迎える羽目になった。

 

 時間は前後するが、2016年の前半はいろんなものを書いていた。

 300字SS、練習帳、即興小説、イメージ小説。

 それらのものは結局続かなかった。いや、2015年までは疑いなく続けることができた。

 2016年は、先述した『From AI to U』後の燃え尽き具合が筆を鈍らせた。自分の執筆態度への疑問が浮かんでいた。だから何も書けなかった。何かを書くことに意味が見いだせなかった。

 

 意味について、答えが見いだせたわけじゃない。

 でも折り合いはつけなければならない。書かなければ、勘は鈍る。だいたい初めから書きたいものが書けるわけでないことは、多くの書物や人物が表しているとおりだ。

 

 今年は、ある程度練習用の執筆を増やしたいです。

 一週間に○○文字とか、義務的に課すものではなく、あるいは○○の技術を身につけるため、というのでもなく、僕が僕としてそれを書くことにどんな意味があるのかを考えたい。

 これもまた予感なのだけど、僕自身を以て創作をしなければ、いつまでたっても言葉は借り物で、届ける物語も偽りでしかない。それはきっとつまらない。そんな創作はいつまでもしていたくない。(この抽象的概念をどこかで綺麗にまとめてくれないかな、と思いつつ、もちろんそんなのは見つからない。だからやっぱり自分で納得がいくものを書くしかない)

 

 僕らしく書いて、練習して、本当に書きたいものを書いていきたい。

 それが今年の抱負です。

 

 予定として、5月の文学フリマ東京にはSFの、それなりの長さの本を用意します。今のところまだ細かいところが詰め切れていないのですが、なんとか間に合わせたいです。頑張ります。

 

 それでは、また。

 

 

2017年1月1日 雲鳴遊乃実