雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

うしろむきの話

 木曜日のお昼過ぎ頃から急に目の奥が痛くなった。パソコンの画面を三時間ほど凝視して作業していたための眼精疲労だったのだろう。祭りの脇道で、こめかみを突きながらとぼとぼ帰った。寝て起きて、まだ痛かったので、今日一日もきつかった。夕方過ぎになり、ブルーベリーの何とやらを摂取して、電車の中でひたすら眠って、今頃になってようやく落ち着いてきた次第である。

 目が痛いのでスマートフォンの画面も見たくなかった。そのため今日はツイッターにもほとんど出没していない。いつもは通勤時やお昼休みについつい見てしまうのだけど、目が痛ければそれも押さえられる。その代わり、お話を考えたり、仕事のことを話したりとすることができた。

 これは久方ぶりのツイ禁が始められるかも、と期待はしたが、帰る頃にはちょくちょくいいねやリツイートをかましていた。とはいえ、それでもなんとなく、これは別に拡散しなくていいだろうなあと考えるようになった。

 思えば俺がいいねをするときはいつでもリツイートとセットだったのだけど、それが何故かと考えてみると、他人に見せてその反応を見たかったっていう意味合いだったと思う。自分の見つけてきたネタに、相手が良好に反応してくれれば、良し。反応が無ければ、掘り下げたりもしない。他人本位はこんなところにも潜んでいたと、思い返してみて感じる。

 ふと気がついたら他人任せにしてしまう。悪い癖だと思いつつも、意識していないと自分の責任を最低限に抑えようとする。それがのらりくらりと、自分の危機を回避してメリットを獲る方法であれば良いのだけど、俺の場合は昔から、その根本は怯えであり恐怖だった。怖い物には近づかない。怪しい物には蓋をする。自分を傷つける物には二度と近寄らない。怯えは俺の中でこんな具合に発展し、行動を規定している。

 変わらなきゃ、とは思う。でもどうやって、とまでは、詳しくイメージできていない。

 

 ならなくちゃいけない、みたいな思考は必ず破綻する、みたいなことがどこかでさんざん言われている。たぶんあちこちの教授的なブログにはそう書いてある。だったらどうすればいいのか、とまで書いてある記事はなかなか少なくて、もしもあっても、肩の力を抜こうとか抽象的なことしか書いていない。

 そのことを踏まえるに、おそらくならなくちゃいけない、とか考えている時点で肩の力が入っている。さらにいえば、そうやって自分を無理矢理変えようとする精神状態では肩に力が入らざるを得ない。今まで普通にやってきたことを変える、それはきっと多大なストレスであり、相当なモチベーションがなければ三日で破綻する。

 じゃあどうするか、っていう質問に、スマートに明確に答えられる人はいない。

 朝井リョウの『何者』の中に、自分を偽る就活生たちが何人か出てきた。自分の名刺を作ったりツイッターで他人を上から見ている発言をする人物を、主人公目線でこき下ろしているが、最後にはその人たちが主人公たちに対して言う。そうするしかないのだ、って感じの言葉だったと思う。

 自分を偽る、というか、変わるためには、綺麗な手のままじゃいられない。そもそも変わろうということは今までの自分を捨てる行為だから、多少なりとも苦労がともなうし、無様にもなり得るものだ。

 それを避けていちゃ、どうにもならない。そのままの性格を、愛でて愛でて、世の中おかしいとぼやくしかない。

 

 すげえ普通のことを言うけど、頭で考えていて、実際行動してみたらたいしたことなかったーみたいな、そういうことは、結構ある。

 逆に想定もしていなかったら、本当に戸惑って、そのまま終わってしまう。

 気づいていて、でも想定しないこともある。素知らぬふり。気づかないふり、とぼけちゃう、ってやつですね。

 なんでそんなことをしたんだろう、って思い返すことも多い。とぼけているうちに失態となり、そのまま黒歴史化してしまうのだ。俺が夢でうなされるときは大抵そんなことを思い出している。

 つまりとぼけることは本当に良くない。

 なのにとぼけてしまっている。まだ直っていない。直りきっていない。

 どこにメリットがあるんだろう。どこかにメリットがあるからこそとぼけてしまっているわけだ。

 何でかなと考えて、とぼけたら、要は、しょうがなくなるってことなんじゃないかな。

 気づいていないならしょうがないね、でなにも知らない状態から始まる。中途半端に終わっても、知らなかったんだからしょうがない。

 これはとても楽な立場だ。何も知らないまま変わらなければ、いつまでも初心者でいられる。

 そこから一歩踏み出せば、気づいていなきゃならない立場になる。

 そこに入り込んでやっていく自信が無いから、とぼけてしまうのかなと思う。

 結局、俺は怯えている。話が戻ってしまった。というか、変わってないのだから戻るのは当たり前なんだな。

 

 前向きになる。

 しかし、前向きな人に前向きという自覚は無い。一度後ろを振り返った者が、再び前を向いたとき、初めて前向きという言葉を意識する。

 前向きを意識した者は、常に後ろ向きになる誘惑に駆られ続ける。

 それを悲観していてもしかたない。

 ネガティブを乗り越えるには、ポジティブになろうとするのではなく、ネガティブを受け入れてしまった方が良い。そんな話をどこかのコラムで読んだ。

 とりあえず後ろを向いたら、また前を向くようにして、くるくる回ってみるとしよう。