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雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。創作サークル綾月所属。個人サークル鳴草庵代表。

『シェルターより』(お題:隠しきった涙)

短編小説

 時坂教授の遺してくれたプログラムに、涙についての記述があります。感情が昂ぶったとき、人はその下瞼の穴から体液を分泌されます。色のついていない血液のようなこの液体のことを『涙』と言います。感情の昂ぶりとは、主として悲しいときですが、怒ったときや驚いたときに流す人もいたそうです。

「僕は流せるの」

 理論上は流せます。

「どうやったらいい?」

 さあ。感情をどうやって扱えば良いか、感情がない私にはとても説明できません。どうかご自分で、発見なさってください。

 

 

 

 僕はおとなしく生きているわけじゃない。この身体には血が巡っていて、針を刺せば飛び出してくる。壁に足の指をぶつければ痛いし、間近にライトを浴びれば眩しくて瞳を閉じもする。立派な反射だ。僕は人として最低限必要な防衛機能をすでに有している。これならば外に出てもやっていける、と思うのだが、ガードマンは許してくれない。僕が自発的に動けば、必ずそれをサポートしてくる彼らは、外に出ることを頑として許してくれなかった。

「外は有害な物質でいっぱいなのです。せめてあと十年おまちください。人工苔がこの世のすべての毒気を取り込んでくれるまではこの私設の中にいてください」

 何度も何度もその説明は聞いていた。ここは北の大地に聳える北海道核シェルター。本州を粉々に打ち砕いた核兵器の残滓は未だに空中を漂い、知床半島を灰色に染めている。僕が出たら、甲状腺だかがふくれあがってしまうのだとか。甲状腺がどこにあるのかもしらないが、身体がふくれるというのは確かにいやな話である。寿命も縮まるというし、出ない方が良いに決まっている。

 しかし理屈でわかっていても、ガードロボットに睨まれようとも、好奇心は抑えがたかった。施設の中は白く、清潔。飽きを忘れさせるためのランダムな風景表示まである。空調も照明も温度も湿度もすべてがコンピュータに管理され、中で暮らす僕たちの不快指数を上げないように尽力している。それでも外には出てみたい。好奇心とは、つまりはそういうものなのだ。

 

 

 

「行ってきます」

 施設をさっていくあなたの姿は私の二倍はありました。ほんの二年前までは私より小さかったのに、すっかり大きくなってしまわれました。人間という生き物は、みなかように成長の早いものなのでしょうか。命あるあなた方のことは、やはり、いつまでたっても不思議です。

「お元気で、ハイネさん」

 私はそう答えました。プログラムに組み込まれた模範解答全集の第359-34番目に相当するこの扁桃は、相手を慮り、丁重さも保ちつつ、短くまとめることで親しみをも表す言葉です。実際あなたは息を吐いて笑顔になりました。効用があったのでしょう。満足そうに去って行く背中を、私はじっと見送りました。

 時坂教授の遺してくれたプログラムの中に、涙についての記述があります。人間は別れの時に泣きます。お世話になったときはもちろんのこと、さして仲良くなっていない相手二も泣いてあげることがあるそうです。どうしてそのような矛盾に満ちた反応をしてしまうのか、時坂教授は不思議に思っていましたが、とうとう答えは見つからなかったそうです。

 さて、君は涙を流したでしょうか。もしそうならば、私はうれしいです。私の行っていた子育てが、ちゃんと人間向けの子育てとして機能していたことになるからです。ついていって確かめたいところですが、わが施設にはまだまだたくさんの子どもたちが暮らしています。放射性物質を吸収し終えた今こそ、彼ら全員を外へと送り出すのです。張り切ってやらなければなりませんので、泣いている暇がありません。もしも今度会うことがあれば、一緒に泣いてみましょう。水さえあれば、きっと泣けます。

 

 

 

 日本海が干上がったとの話をきいたときは唖然とし、目の前に立って呆然とした。ひび割れた地面が白く染まっている。海の塩が残ったものであるらしい。

「そう落胆しなさんな。水がないと言うことは、馬でわたれるということだ」

 馬なんてないですよ。

「車ならあるだろう」

 ええ、まあ。

「じゃあそれでいい。乗った乗った」

 水先案内人は有無を言わさず僕を連れ出した。水などないのに、水先案内人はいるというのも不思議な話だ。きっと誰かが指摘しない限り訂正されることのない役職なんだろう。

 水先案内人は芦毛の馬に乗り、私は黒い毛の馬に乗った。道を歩むたびに、蹄が地面をたたく音がした。白い地面。海の塩が干上がってたまったのだ、と男が教えてくれた。

 大陸の方は無事なのか、と私が聞くと、男は苦笑いを浮かべた。

「だめなところも無事なところもある。さすがに大陸全土を放射能まみれにすることはできなかったようだ。それはきっといいことだ。そとにでられないんじゃ、地獄だからな」

 水先案内人が高らかに笑う。肩幅が広く、顔も四角くて大きい、力強そうな人だ。比較的一方的に話し続けてくれるのだが、考える必要も無いから却ってそのぞんざいさが売らやましくもある。

「山を越えるんだ」

 大陸に就いてから、水先案内人は教えてくれた。

「そんな軽装じゃ死ぬ。せめて手持ちでいいから防寒着を持って行きなさい」

 恥ずかしながら、防寒着というものを今まで知らなかった。寒かったら家から出ないのが鉄則だったからだ。そう伝えると、水先案内人は肩をすくめた。

「近くにお店があるよ。そこで買いな。大丈夫、何も怪しいところはないから」

 言われるがままに服を買った。店から出ると、水先案内人はもういなくなっていた。地図を示す紙だけが私の車に貼られていた。おそろしく簡易な字で、不安ではあったが、ほどなくして砂漠では余計なものを書く必要が無いのだとわかった。なにせどっちも砂漠なのだから。

 山は目の前に聳えている。私は今一歩から、その登山口を登り始めた。

 

 

 

「上の空だよ」

 女の子に言われて、私は気がつきました。私の注意力は、今確かにこの子から離れていてしまったのです。

「ロボットが上の空になるなんて、変なの」

 私もそう思います。ロボットには感情はないのです。なのに心がどこかへと行く。こんなことをかれこれ十年繰り返しています。日常業務には支障が無いから、このままでいてしまっています。

「ねえ、何を思い浮かべたの」

 私が息を飛ばしてしまうと、少女はよくこの質問をします。口元がにやついているのがとても気になります。いったい何を考えているのでしょう。私にわかりません。でも、もしかしたら、予想くらい立てられるかもしれません。人間と過ごしてきた私にならば。

「昔、この施設から旅に出た人がいてね」

 あれから十年が経ちました。

 君は今どうしていることでしょう。

 もしも私に感情があれば、どんな涙を流したでしょうか。

 

 バイカル湖は虹色に輝いている。それを、僕は今見下ろしていた。

 長い旅をしてきた。同じ所をいったりきたりしながら、結局降りてきた場所を過ぎて、もう一度この北の大地に脚を踏み入れたのが半年前の話。それからひたすらきれいな景色を追い求めていた。

 街はいくつかあった。だけどもう、どこだって寂れていた。多くの人がいられる場所に、少ない人がいたら、どうあったって見窄らしくなる。きっと世界は、人口に合わせて縮小される運命にあるのだろう。

 かろうじて僕は生きている。もうずいぶん、一人の旅を続けてきた。美しいこの湖を見下ろしながら、腰を据えるのも悪くはないか。

「ハイネさん」

 名前を呼ばれた。小高い丘の上でのことだ。振り返ると、一人の少女が立っていた。

 彼女が僕と同郷とわかり、長いこと話し合った。麓の街の小さな宿で、ろうそくの明かりを頼りにお互いの顔を確かめ合った。翌朝の太陽が昇った後に、少女はポケットから紙を取り出した。

「これをずっと、渡したかったの」

 差し出してきた手紙には、文字がびっしり詰め込まれていた。

 要約すれば、以下の通り。

 いつでもあなたをお待ちしてます。

 

 

 

 私には感情がありません。

 ですが、文字を書くことはできます。

 とても不思議な話ですが、書いている私の文章はびっしりになりました。文字を正確にうとうとしても、どういうわけか多くなる。言葉が続き、途切れなくなる。

 私はきっと、人らしく書くことができました。

 私には瞳がなく、そのために涙も流せません。

 ですが、流しているのです。きっと貴方と同じように。それがどうか、伝わりますよう願っております。心より。