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雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。創作サークル綾月所属。個人サークル鳴草庵代表。

読んだら是非とも感想を――『サラバ!』(西加奈子)

 物語に時代を設定する意味は何か。

 『サラバ!』では物語の書かれた理由が作中で言及されている。だが、僕が言いたいのはメタの話だ。どうして著者は、物語の時代をある時期からある時期までと具体的に定めたのか。ひとつあげるとすれば、時代観が読み手に与えられ、より親身に物語と接してもらえるという効用だ。その時代に起きたことがいくつか断片的にでも書かれていることで、物語の存在がぐっと読み手に近づいてきてくれたように感じられるのである。

 『サラバ!』の舞台はおおむね1980年代から2010年代だ。その時代を生き抜いてきた者たちからすればその成長記録とぴったり一致することだろう。1990年代生まれの僕の半生は作中の半分で、自我を持って行動するようになった00年代はとある事情によって描写が少なくなってしまうのだが、それでも次第に大人になりつつある身として思い知らされる箇所がいくつもあった。心が震えた。決してお世辞じゃなく、読むのが楽しく、そして怖かった。危険な予感さえあった。読み進められたのは、西加奈子さんの軽妙な文体が助けてくれるからだろう。第五章『残酷な未来』など、もう少しでもシリアスに振り切られていれば僕は間違いなく読み切ることができなかっただろう。

 

『サラバ!』の主人公は異常な姉と母を見ながら育ってきた。なるべく目立たないように、迷惑をかけないように、それをモットーにしながらけなげに頑張ってきた。この感覚は日本人ならわかる人が多いだろう。

 家庭の歪さに辟易しながら、主人公は自分一人で黙々と勉強をし、本を読み

音楽を聴き、映画を見る。あまりにも異常な周りに付き合うのに疲れ、自分が普通の人と同じであることを望む。

 そんな主人公が初めて他人と親身に接したのはエジプトのカイロ、ザマレクでヤコブと出会ったときだ。主人公とヤコブは気を許し、一緒にエジプトの街を探検した。まだ体力に有り余っている頃の話であり、ヤコブとは言葉を超えた何かで繋がっていた。これだけでもうまい。後に主人公にとって大切な経験となるこの光景は、この世に何も疑うものをもたない主人公の感性によってもたらされていた。

 

 エジプトから帰国した主人公はすぐに日本の学校に入る。縦社会にしたがい、夜遅くまで仕事をし、土日だってともすれば呼び出される。そんな関係性が疲れたと思う人はたくさんいたのだろうが、主人公は待ってましたと言わんばかりに溶け込んでしまう。そうできなかったのが姉だ。やがて日本を離れた姉は、世界中を放浪し、第五章でとてつもない進歩を遂げて再登場することになる。

 その時、主人公は自分の身に絶望を感じていた。自らの容姿が劣化していく一方で、精神がいまだに醜いことを思い知ったからだ。

 

 思い返してみれば、第一章から第四章までで、奇行を繰り返す姉を軽蔑する主人公が、それなりの容姿を武器にして他者と交流しつつ、のらりくらりと生きてきた。 須玖や鴻上のような理解者に恵まれたのは偶然に過ぎない。

 その半生について、僕はすっかり良いものとして受け止めていた。容姿が良いから彼女にも困らず、数名の親友がいて、自分のプライドを保ちながら好きなことを仕事にする。羨ましいとさえ思っていた。それが、第五章で急転直下。今まで主人公を支えてきたものがすべて崩壊する。

 あまりにも鮮やかに崩壊するうえに、軽妙な言葉遣いも相まって、笑い話にも思える。実際笑った。だけど素直には笑えなかった。大人になってしまった今では、主人公に降りかかる数多の事象により、あまりにも生々しく身につまされてしまうのだ。主人公のことを羨ましいと思っていたこともそのショックに助力する。もっと自分がかっこよければ。もっといい友達がいてくれれば。そんな具合の後悔を持ったまま成長してしまった人ならば、誰だって同じ気持ちを味わうだろう。なんて酷いことをするんだ!

 きっと二年か三年前、まだ学生だった頃の自分ならば、もっと純粋に笑っていたと思う。それもまた、成長してしまったことへの後悔という新しい火種になる。

 恵まれた生活や容姿や友達付き合いが、時間の流れという化け物よって押しつぶされていく。すべてが幻であったかのように。どんな恐怖体験よりも恐ろしく、誰の身にも降りかかりうる、まさしく残酷な未来だ。

 

 主人公は自らを「ずっと逃げ続けていた」と振り返る。何をするにも人の目を気にして遠巻きに観察し、慎重に行動し、時には自分の気持ちにも嘘をつき、ごまかし続けてきた。そのことが、いろんな人に露見し、指摘される。

 第六章の表題はそのうちの一つだ。

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」

 散々身につまされてからのこの言葉は、言葉の話し手がどんな人物であるかも加味されて、鋭く胸に迫ってくる。僕にとってつらい話であったはずなのに、目が離せなかった。

 

 このお話は、人によって感じ方が変わるのではないだろうか。僕はすっかり主人公に身を寄せてしまっていたが、鼻持ちならない奴だと貶す人もいるだろうし、何も気にせずひたすら笑って読む人もいるだろう。誰か知っている人にでも読ませて、どう感じたか聞きたくなる、そんな物語でした。