雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

6月2日頃の日記

 久しぶりに新聞をじっくり読んだ。どうしてそんな気を起こしたのかというと、ちょうど読んでいた『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』(辻村深月)の中に新聞を読む人と読もうとしない人についての文章があったからだ。せっかく家に届いているのだから読んでみようと思い至ったわけである。

 

 SNSやネットのニュースを見ることはあっても紙の新聞を読んだことはあまりなかった。就活の時期に三か月だけ日経新聞を読んだくらいだ。そのときはどんな記事よりも、連載されていた『ファミレス』(重松清)が面白かった(最終回だけ読めなかったのだが、もうとっくに単行本化されているし、ここ最近の実写化ラッシュをみるにそのうちドラマ化でもされるのではないかなと思う)。新聞の切り抜きなんてものも高校生の頃にやったが三日で飽きた。一度読んで面白いと思ったものが本当に読み返したくなる記事かどうかなんてわかるだけのセンスは持ち合わせていなかった。

 

 今回読んでみても、自分の感性が変わっていたかというとそうでもない。昔よりは社会に関心がでてきたかなと思えたくらいだ。そりゃ社会人なのだから、よその会社のことが気になるのは当たり前なのだけど。

 

 それよりも気になったことがある。当たり前過ぎてわざわざ書くのも恥ずかしいくらいだが、新聞記事はネットの記事よりちゃんとしている。根拠も示されているし、経緯と展望も書かれている。言葉遣いも丁寧で私情も挟まれない。なるほどこれは読みやすいなと、今更ながら感心した。

 

 

 小さなコラムに杉本秀太郎のことが書かれていた。五月前に死んだ文学者で、ボードレールなどを翻訳した人だ。平家物語について語り部である琵琶法師の演奏の仕方を読み解いていく研究をしていたらしく、文章のリズムやオペラのような楽しさについての言及もあった。興味深い考えだと思ったのでここに記しておく。

 

 『月に吠えらんねえ』を読んだ。明治大正昭和の詩のイメージがキャラクターになっている。僕自身は詩が苦手なのだけど、絵になってくれていることもありイメージが掴みやすくてありがたかった。そうか、こういうふうにイメージできるんだ、と学ばされたような気がする。

 

 同時期の小説家にスポットを当てた作品なら『先生と僕』を知っている。夏目漱石の周辺の人たちを書き表したもので、こちらはどちらかというとコミカル調を押し出しているが、ときおりフッと創作者の暗い内面が映し出されていた。そこがまた良くて、たんなる好き嫌いでなくその時代の人たちに興味が湧く描き方だった。

 

 そういえば去年伊集院静の『ノボさん』を読んだ。こちらは正岡子規に焦点を当てている。病床を宇宙に見立てるその精神が魅力的だったことをほんのり覚えている。