雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

『冷たい校舎の時は止まる』(辻村深月)

0.

 「この本はきっと自分に合っている」と気づいたのは、読み始めてからまだ10分も経っていないときだった。駐車場に停めた車の中で時間待ちをしていて、手元に持ってきていたこの本を読んだのである。

 読めたのは最初の30ページほどまでだ。冒頭にきっかけとなる文化祭での事件があって、中心人物である鷹野と深月が雪道を歩いているシーンへと移った。小難しい理屈があるわけではなく、その謎を孕みながらの自然な始まり方がとてもいいと感じた。


1.

『冷たい校舎の時は止まる』は、文庫サイズにして1100ページを超える長編小説だ。メインの登場人物も8人。舞台は校舎の中が基本という制約はあるものの、そこで繰り広げられていく交流、描かれている人間性はとてつもないボリュームとなっている。

 しかし、読み始めた僕の手は止まらなかった。帰宅してから後の時間を費やして上巻を読み、明くる日の日中をかけて下巻を読み切った。読みたいと思ったから何よりも優先したのである。時間を惜しむことなく費やすことができ、読み切った時の満足感はここ一年でも一番のものだった。

 もちろん借り物であるがゆえに早めに読まなければという焦りはあった。謎が謎を呼ぶ展開に否が応にも興味を惹かれ続けたわけでもある。

 だけど、何よりも読み続けてしまった理由は、この物語の登場人物たちに僕が半端でなく共感してしまっていたからだ。


2.

 舞台となる私立青南学院高校は地方都市の進学校だ。登場人物たちはどちらかというと勉強を真面目に取り組むいわゆる優等生タイプが多い。遊びを優先させている子もいるが、進学校に通えるくらいの学力は持っているし、将来の夢があって大学を目指して勉強中だ。どちらかといえば、良い子たちばかりが揃ってしまっている印象を受ける始まり方だった。

 物語が展開していくと、時間の止まった校舎にて、一人一人が暗闇の中での恐怖体験をする。描かれ方は精神的に恐怖を抱かせるような感じだ。追いつめられた登場人物たちはそれぞれの内面を浮き彫りにし、自らを追いつめる相手を悟ったところで血塗れの石膏像へと変えられていく。

 ただ、読み通してしまってから言えるのだが、彼らの内心も決して悪いものではなかった。だからこの物語は、よくあるような、「良い人たちのふりをした悪い人たちが報復されるサスペンスホラー」ではない。

 だがテーマはまさに「悪」そのものだ。

 この『冷たい校舎の時は止まる』は、不自然なほどにまとめられた良い人たちだけで送る、極めて純粋な「悪」の話だ、と僕は思うのだ。


3.

 僕の共感について述べる。

 僕も高校は私立で進学校で、どちらかというと勉強を真面目にするタイプの人間だった。そういう環境面での一致も合ったのも事実だ。だがそれ以上に、僕と考え方の根本が似ていると思える人、そして僕がそのような考え方を持ちたいと思える人が大勢いた。だからとても他人事とは思えない気がしてしまった。

 このあたりを具体的にするため、登場人物たちを消えていく順番ごとに途中まで取り上げてみる。

 まず最初に内面を見せるのは『普通を破れない人』だ。自分の中で限界を作り、それがわかっているから明るい気持ちで絶望を捉え、諦めながらも生きている。

 二人目は『普通であることを誇りに思っている人』だ。中学校時代に図らずも友人を見捨ててしまった後悔から、誰に対しても普通に接することができるよう心掛けていて、普通でいられない人には率先して助けてあげたくなる。

 三人目は『普通ではない人』だ。持って生まれてしまった天才の素質のせいで誰からも敬われてしまい、気心知れた友人など持つことができなかった。

 四人目は『普通を遠ざけられてしまっていた人』だ。離婚してしまった父から逃げ、母から罵倒され、どうしようもない中をひたすら身体をボロボロにして、懸命に普通らしい生活を保とうとしている。

 五人目は『普通でありたかった人』だ。医者の子として生まれ、当たり前のように高度な勉強をし、高度な会話をし、他の子との隔たりを感じる生き方を無言のうちに強要されながら生きてきた。

 それぞれの呼称は、各人の内面を参照にしながら今僕がつけたものだ。だから意図的に共通項が組み込まれている。

 見ての通り、全員が『普通』との関わりを持っている。そしてみな自分の中に特異な点を見つけていて、普通であることを望んでいる。

 僕が共感したのはここだ。『普通』であろうとして、もっとわかりやすく言うと「誰かと自分とを比べて」しまうことはたくさんあった。偏差値というのは学力だけの話だが、学生たちの間にも確かに目に見えないランク付けや向き不向きがあった。思えば学校という場所だからこそ、そのような比較が顕著に感じられていたのかもしれない。

 とにかくそのような『普通』にまつわる感覚が、作中の登場人物たちを通してリアルに伝わってきた。身に覚えのある独白がいくつもいくつも見受けられ、そのたびに妙な嬉しさと歯痒さが浮かんだ。高校生のときに抱いていた不安、感じていた空気、懐かしさと、それに伴う苦さ、本当に視野が狭くて愚かしくてちっぽけだった昔の自分が記憶の彼方から留まることなく蘇ってきたのである。

 本当ならば感想文を書くのに共感という言葉は使いたくなかった。それはあまりにも個人的すぎて、公に向けての文章に載せるには矮小だと思っていたからだ。でもこの小説の感想文では書かざるを得なかった。僕が抱いているこの並々ならぬ感動は確かに僕の共感を踏まえてのものであるからだ。

 僕は確かに高校生だった。作中の登場人物たちと同じような年代で、違う形での悩みを抱いていた。だから俄然、彼らに、そして物語全体に親しみと興味が湧くことになった。

 だから僕は、この物語にのめりこんだのだ。


4.

 「悪」について述べる。

 この物語には良い人ばかりが登場する。実はそこには理由がある。物語の根幹なので詳しく書くのは控えるが、ここで登場する世界はとある人物の理想を基にした、言ってみれば異世界だ。しかも「こうであってほしい」と願っていた過去も捏造され、記憶の中に刷り込まれている。そこから本筋である「ホストは誰か」「八人のうち、本当はいないのは誰か」という謎に発展するのだが、ここでは置いておく。

 重要なのは良い人である彼らが反省を迫られることだ。これもまた詳しく言うわけにはいかないのだが、時間の止まった世界で味わう恐怖体験は、何かを「思い出させる」ために行われる。良い人たちである彼らが何に気づいたのかは、実に下巻の、「解決編」以降で語られることになる。

 だから、ここから先は読んでもらわないとわかりづらい。しかも大切な謎に触れている箇所だから、曖昧にしか書けない。読みづらさを承知で、書いてみる。

 結論から言ってしまえば、その「思い出すべき事柄」とは自殺した人の死因に繋がっている。だが事態は少々複雑で、彼らは決して悪いことをしていたのではない。とある人物を守るための、真っ当なことだった。どこまでも真っ当なことをして、その結果悲劇が起きた。

 ではその真っ当なことをしなければよかったのかというと、そうではない。そうなると今度は親友が死んでしまうことになる。

 どっちつかずで、誰が「悪」かを決めるのは結果を見た世間でしかない。だが、やってしまった方の心の中では、ずっと罪悪感が残り続ける。真っ当に生きようとしていても、誰かと関わり衝突するがゆえに、避けることができない「悪」がある。

 できることなら読んだ人とこのことについて話し合ってみたいものだ。


5.

 ミステリーとして見る。

 すでに述べたように、独特な時間が流れる校舎という異世界が舞台だ。外に出ることはできないし、記憶は改竄されていて、ホストが定めた一定のルールがある。恐怖体験だけが起こり、目的はひとつ。「自殺した人が誰かを思い出すこと」。

 実はこのあらすじを書くのにも結構気を配らなければならなかった。それだけ繊細な仕組みが、実は大筋の段階で組み込まれている。ファンタジー色はあるものの、論理は明快。解決編を読んだときは予想以上に爽快だった。

 以下、ネタバレのため反転する。読んだ人だけに見てほしい。↓

 大きな謎は三つある。「自殺者は誰か」「ホストは誰か」「八人のうち実際にはいないのは誰か」

 「自殺者は誰か」についてはわかった。良い人ばかりが登場して、あまりにも深月を庇っていたエピソードが出てくるものだから、前述の「悪」のテーマがどこかで出てくるんだろうなと思っていたら自然と思い至った。あとは「解決編」直前の作者からの挑戦状で自分の考えの正しさを確信した。挑戦状では「僕たちのクラスメート」という表現がされていた。もしも自殺者が八人の中にいるならそう書くだろう。わざわざクラスメート全員を対象としたことで、あの人も堂々と候補に入れることができた。

 だが逆に言えば、僕はあの人を候補に入れていいのか直前まで確信できなかった。その理由が今ならはっきりわかる。僕はまんまと作者の仕掛けた写真のトリックに引っかかってしまっていたのだ。

 先に「ホストは誰か」について述べる。僕は最初これを榊だと思っていた。自殺した子は関係なくて、そのあとに榊が死の淵を彷徨う事態になって八人を呼び寄せたのかなと思っていた。しかしそうだとすると写真の中に七人しかいなかったという事実と矛盾してしまう。僕の考えだと八人の中に死者がいないことになってしまうからだ。だからあまり強い確信は持てなかった。

 それがまさか、まさかあれほどのすっきりとした説明がなされようとは!

 榊の正体が判明したところから、僕はもう興奮しっぱなしだった。写真の説明が完璧になされ、それ以外にどういうことだろうと思っていた描写まで理由が判明してしまう。もう言ってしまえば六人目に取り上げられる菅原のエピソードだ。あの話だけ妙に他の話と違うと思っていたら、まさかの大どんでん返し、超重要なエピソードであることが判明してしまった。気づいた瞬間に「ああ!」って本気で叫んでしまった。あれだけ気持ちのいい驚愕をしたのは人生を通しても滅多にないことだよ。

 反転ここまで↑

 とにかく、ミステリーとしては申し分ない。謎はきちんと用意されていて、それを解く論理づけもしっかりある。たとえ超科学的な力が関わっていても、ルールを理解して真面目に取り組めば本格ミステリーと何ら変わらず、必ず解けるしろものとなっている。


6.

 おわりに。

 とても嵌った。没頭し、のめり込み、興奮して、感動した。この本が借り物であるというのがとても惜しい。ぜひとも新しく購入して自分の蔵書印を押してやりたい。そう思えるだけの作品だった。今年読んだ本の中で、熱中度合いは間違いなくナンバーワンだった。

 「小説というのは、人生が一度きりであることへの抗議だ」と言ったのは北村薫だったと思う。とはいえ現実の一度きりの人生の抵抗となり、彩を添えてくれるような小説なんて、本当は滅多にないだろう。本当の意味で熱中するほどでなければその器ではない。

 そうだと考えるならば、僕にとって『冷たい校舎の時は止まる』はその定義に当てはまる数少ない本だ。この本は僕を過去へと誘い、困難を思い起こさせ、親しみのこもったカタルシスをもたらしてくれる。作者である辻村深月さんに敬意を表したい。この本に出会えてよかったと、もうすでに心から思っている。