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雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。創作サークル綾月所属。個人サークル鳴草庵代表。

岩城けい『さようなら、オレンジ』(筑摩書房)

感想

※この感想文にはネタバレが含まれます。お気を付けください。

 この本を読み始めると、独特の違和感に襲われる。国にまつわる情報が少ないからだ。主人公のサリマが別の国から来た難民であることはわかるが、今いる場所がどこにいるかもわからない。主人公のお話と交互に綴られるジョーンズ先生宛の手紙もまた同じで、こちらの書き手が誰なのかはある程度読み進めないとピンとこないし、その意味については最後の最後で明かされる。

 物語全体の構成がわかる、という意味ではミステリーのような楽しみ方ができる小説かもしれない。しかし、主題は当然、そこじゃない。

 中盤、サリマは息子の通う学校の先生から、祖国のことを紹介する作文を書いてほしいように頼まれる。英語を習いたての頃から上達したといっても未だおぼつかないサリマは、渋りながらも、簡単な言葉を駆使して文章を書く。そうして綴られた物語には、実は祖国らしい情報というものはほとんどなく、あったのはサリマの個人的な生活の内容だった。

 親の手伝いをして兄弟と遊び、学校へ通う。文化や宗教の違いこそあれ、人の暮らしは似たり寄ったりだということにいまさらながら気づかされた教師は、長年の馴れ合いで脳裏にこびりついてしまった垢をはがされたような気持ちになった。

 人間には普遍性がある。しかし違いも確かにある。最も異なるのは「言葉」だ。

 最初のうち、サリマは言葉の壁によりほとんど会話をすることができない。主人公の学習とともに、言葉の壁の厚さ、それに伴う困難を読み取ることができる。

 もうひとりの主人公である手紙の書き手は、おそらく大学で勉強している学徒だ。彼女もまた文中で第二言語の役割について、手紙の相手に質問する形式で説いている。

 

 二番目の言葉として習得される言語は必ず母語をひきずります。私たちが自分の母語が一番美しい言葉だと信じきることができるのは、その表現がその国の文化や土壌から抽出されるからである。第一言語への絶対の信頼なしに、二番目の言葉を養うことはできません。そうして積み上げられた第一言語(私たちESLの学生にとっては英語)に、新しい表現や価値が生まれてもよいのではないでしょうか。

 主人公、そしてその周りの人たちは言葉の壁に立ち向かっている。直接的に受難が書かれているわけではなく、その困難はまんべんなく生活全体に広がってみえる。育児でも、その他の人間関係でもだ。

 しかし彼女たちは、世間の波にのまれることなく意志をもって生活を営んでいく。その重要さが、実は物語の根底にあったように思える。

自分の行くべきところへ行き、そして、自分のしなければならないことをするべき

 物語全体から、生活の上での力強さがひしひしと伝わってくるのである。