雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

『だまし絵Ⅱ・進化するだまし絵』に行きました。

 9月13日にタイトルの展覧会に行きましたことをここに記しておきます。

 場所は渋谷のBunkamura ザ・ミュージアム。「Ⅱ」とついていることからわかるように、前身となる展覧会が五年前に行われ、好評を博していたそうです。多くの方から「面白かった」の意見を受け取るうちに、「いったいその面白さの理由はなんなのだろう」と思い、追求してみようと考えたのが、今回の「だまし絵Ⅱ」の目的なのだそうです。(東京新聞に掲載されたプロデューサー 木島俊介氏の発言より)

 

 写真撮影は禁止なので文章でのみの紹介となります。

 

 館内に入ってすぐが〈プロローグ〉のコーナー。展覧会のHPにもメインで掲げられている『司書』(ジュゼッペ・アーチボルト)を筆頭に、16世紀、17世紀の古典たちがお出迎えしてくれています。見えないものが見えてくる、本物がそこにあるかのよう、といっただまし絵の発想の源泉が楽しめます。中にはどうやって別の観方ができるのか首を揺らして試行錯誤したくなる作品もありました。

 

 続いてのコーナー、〈トロンプルイユ〉は、フランス語で「目を騙す」の意。包括的にだまし絵を意味する言葉でもありますが、ここでは「そこにないはずのものを描く」を基本とし、様々な趣向の美術作品を展示しておりました。もはや絵にはとどまっていません。

 キャンパスを組み合わせて精巧なアンプを作り上げているフェンダー・デラックス・リヴァーブ・アンプ2』(カズ・オオシロ、生きている人間から型を取って再現した『カーペットを掃除する女』(ドゥエン・ハンソン)、世界中を歩いてひび割れに拳をつきつけている『ストリート・デストロイヤー』(田中偉一郎)などなど、「こういう作品もあるのか」と驚かされるものもたくさんありましたね。

 ディズニーキャラを映画の一場面から見えなくした『Copyright 原画』(福田美蘭はだますというよりも、見えなくすることに主眼を置いた作品でした。書いたら怒られちゃうのでしょうか。

 

 続いて〈シャドウ、シルエット&ミラー・イメージ〉は、まさしく影や鏡を用いた美術作品の展示コーナー。この展覧会ではもっとも哲学的に思えました。立体を感じさせる影と平面の帯とのギャップを表す『影の絵』『影6』(ともにゲルトハルト・リヒター)や、影の方が生き生きとした人間像を思わせる『射手の姿のように』(マルコ・パリョーニ)は特にそう感じました。

 鏡にカメラマンの絵を貼り付けることで鏡に映された私たちがまるでカメラにとられているかのように錯覚させる『カメラマン』(ミケランジェロ・ピストレット)、入り組んだ針金にライトを射すと見覚えのある影の浮き上がる『蚊Ⅱ』『トカゲ』(ともにラリー・ケイガン)など、驚くよりも感心してしまう作品も多かったです。やりようによっては自宅でもできるんじゃないかなと。

 

 そして次のコーナーが〈オプ・イリュージョン〉です。オプとはoptical(光学的な)の意味。幾何学的模様や角度の違いによる錯視の入り乱れるこちらのコーナーからはまさに現代芸術といった雰囲気を感じました。ちょうどネットでよく話題になる目の痛くなるような錯視もこの分類に入るでしょう。

 位置によって色のついたカラフルな幾何学模様がモノクロの細密な図へと変化していく『記憶:時の歩み――追憶』(ヤーコブ・アガム)、奥行きの間隔を失わせる巨大な丸い立像『白い闇Ⅸ』(アニッシュ・カプーア)など、徹底して想像力をざわつかせる作品に当てられていきます。

 道順に沿って見えてきたのは、有名な『広重とヒューズ』(パトリック・ヒューズ)。その存在感は圧倒的。前を横切るだけで思わず息をのんでしまいました。とても機敏に変化するというのに、間近で見てもそのトリックはまったく気づきませんでした。

 

 最後のコーナー〈アナモルフォーズ・メタモルフォーズ〉、歪像を意味する言葉と変身を意味する言葉です。歪んでいるのに、まるで正しいかのように見えてしまう、とでも言えばよいのでしょうか。

 有名どころのマウリッツ・コルネリス・エッシャーの絵もこちらにありました。内側と外側というありえない結び方をする梯子に目を奪われる『物見の塔』、人間たちが終わりのない階段を上り続ける『上昇と下降』、白い鳥が昼に溶け黒い鳥が夜に溶ける『昼と夜』などなど。エッシャーの絵は良く見ればポップで、ユーモアを感じさせる表情があると思います。

 病的なほどに脚に着目した『赤いモデル』『真実の井戸』や異次元の渡航者を思わせる女性を描いた白紙委任状』(三作品ともにルネ・マグリッド)は、どことなくぞっとするタッチ。現実にありえないはずなのに不思議な存在感を放っていました。

 シュールレアリズムといえばだれもが聞いたことのある人であろう、サルバドール・ダリの作品もふたつ。脈絡のないイメージの氾濫を見せつけてくる『海辺に出現した顔と果物鉢の幻影』『姿の見えない眠る人、馬・獅子』は、夢の中の不安定をキャンパスに描いたような作品。現実を否定するかのような力強さ、不気味さとおかしみ。

 このコーナーは絵だけにはとどまりません。

 登山道具で雪山の像を作る物体『絵画/風景』(フーゴ・ズーター)

 唐突な毒々しさを彷彿とさせる写真『官能的な死』(フィリップ・ハルスマン)

 出口のない迷宮を映し出す映像『SPACY』(伊藤高志)

 奇抜な色合いに浮かぶ目と口の映像、そして降りかかる単語により、脚を止めずにはいられない『ピンク』(トニー・アウスラー)

 酷く悲しんでいる人かと思いきや、その全身が玩具で構成されている写真『自画像 悲しすぎて離せないバス・ヤン・アデルによる』

 そしてコーナーの最後に燦然と立ちふさがる異常なほど縦に歪んだ『引き伸ばされた女#2』(エヴァン・ペニー)

 ……個々の作品ごとの濃さは展覧会随一でした。

 

 今回の展覧会は気楽に楽しめたらいいなあという思いで臨んだのですが、予想以上に圧倒される作品も多かったです。だまし絵は現実と虚構の境目にメスを入れる芸術です。そこには面白味もあるし、イメージを撹拌されることによる楽しさ、不気味さもあるのだと思います。展覧会を出た後は、ちょっと不思議な世界を覗いたような気分でした。