雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

【イベント参加】第28回文学フリマ東京に出店します

標記のとおり、イベント参加の告知をいたします。

1.概要

日程:2019年5月6日(月)11時~17時

会場:東京流通センター 第一展示場(駅降りて左)

ブース情報:鳴草庵(セ-42)

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2.自サークル「鳴草庵」(案内図内の(1))

新刊:C'mon Spice!

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https://c.bunfree.net/p/tokyo28/13961

価格:200円  判型:A5(コピー本)

俺もカレー王になりたい
まとめサイトのリンクとともに、謎の言葉を残して友は消えた。
唯一の手がかりである下北沢のカレー店を巡りながら、私は友を思い返す。

お題「下北沢初代永世カレー王」

新刊はお手製のコピー本。紙質は「台車」より若干良くなりました。

浅草の某イベントで設置したお題箱から生まれた作品です。有料です。

おまけで「正式な手続きを踏んで登場人物に楽曲を歌わせたかった話」も収録!

悪ふざけを思いついた雲鳴がJASRACに交渉を持ちかけた顛末を詳らかにしています。気になった方は 是非お手にとってください。

 

準新刊:火竜の僕は勇者の君と一度も言葉を交わさない

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http:// https://c.bunfree.net/p/tokyo28/13012

価格:800円  判型:A6(文庫)

――僕の言葉は、全て炎になってしまう。

夢の中でのみ訪れることのできる異世界
火竜として召喚された「僕」は、勇者の少女と共に戦ううちに、次第に心を通わし始める。

文フリ東京では初頒布となるファンタジー小説異世界転生になりきれなかった変則ボーイミーツガールです。

カクヨム掲載時の作品に加え、番外編として「もうひとつの夢の話」を収録。舞台は九州のどこかです。 

 

既刊1:台車は虚空の死体を運ぶ

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https://c.bunfree.net/p/tokyo28/13960

価格:200円  判型:A5(コピー本) ※在庫僅少

宇宙空間から死体を集める教授。事故から必ず生還する男。
二人の男に寄り添ったり離れたりして、「私」は今日も死体を運ぶ。

 

既刊2:綾は千々、されど同じ学舎の中で

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https://c.bunfree.net/p/tokyo28/9019

価格:500円  判型:A6(文庫) ※在庫僅少

某所に寄稿した掌編及び短編4作品を加筆修正。

基本的には学校を舞台にした物語です。

 

既刊3:From AI to U

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https://c.bunfree.net/p/tokyo28/6431

価格:1,000円 判型:A5

画家、咲良竜水はある夜見知らぬ少女と出会う。

「この子を育ててやってくれ」

指し示されたその子の腕は、人のものとは思えないほど冷たかった。

 

フリーペーパー:拡張現実試論の紹介

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価格:無料 判型:A4

文フリ大阪で初頒布の短編集「拡張現実試論 あるいは5つのテーマを巡る個人的アンソロジー」の紹介です。

裏面にはQRコードで読み取れる短編執筆時の裏話(200文字程)と作品内容を収録。

また、収録作品につきましては新進気鋭の作品配信サイト「Scraiv」にて、平日の(間に合えば)毎日1話ずつ配信を予定しています。

Scraiv ch 「拡張現実試論」

内容につきましては別の機会に。

 

【4/29追記】即席当日企画:「黄泉しぐれ」140字小説お題募集

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要するに死に方限定のお題募集です。

鳴草庵にお立ち寄りいただき、お好きな死に方を言い残してください。

3.寄稿サークル紹介

月と缶チューハイ(案内図内の(2)ソ-01)

https://c.bunfree.net/c/tokyo28/!/%E3%82%BD/1

青樹凜音さん主催のオンライン創作サークルにて、短編集を寄稿しています。

短編集「JAM」

https://c.bunfree.net/p/tokyo28/14415

収録作は「ガーネット」「虚好」「頂上にて」「肌寒い夜に」「粉微塵の指の先」の5つです。それぞれ書いた場所が違うので、一気に読めるのは今のところここだけですよ。

 

 

スタジオおじや(案内図内の(3)チ-15)

https://c.bunfree.net/c/tokyo28/!/%E3%83%81/15

感傷マゾ概念を世に広めている@wakさんの専門誌にて、小説作品を寄稿しています。(専門誌そのものは現在制作中だそうです)

作品名は「死に至る郷愁」です。子ども時代を経験しない「短期成長者」の青年と、ヴァーチャル世界の少女との交流です。

某所にて連作にするつもりで書き始めたところ、1話目が強すぎてお蔵入りしていた作品をきちんと完結する形で書き直しました。

感傷マゾ専門誌への寄稿のお声かけいただいたときに、真っ先に思い浮かんだ作品でした。

 

 

さらにもうひと方紹介します。

マルカフェ文藝社

東急池袋線御嶽山駅徒歩数分、御嶽神社裏にあるマルカフェさんの文藝合同誌にも寄稿しております。

今年刊行された作品ですので、合わせてご紹介いたしますね。

合同誌名は「棕櫚 第7号」で、寄稿作品は「MからNへ」です。オリジナルの人間のまねごとをしているビリーたち。主人公Mのビリーは、数年ぶりに誕生した女の子Nの育て役になりました。

マルカフェさんでも買えますし、オンラインショップでも購入することができますよ。

棕櫚「shuro」第七号 | MaluCafe

 

 

【4月26日追記】

オルタニア(案内図内の(4)ス-32)

https://c.bunfree.net/c/tokyo28/!/%E3%82%B9/32

新刊の合同誌「冷やしSF始めました」に参加しております。

告知を見たのが日曜日で、翌日正午が締切というから急いで作成、送付。掲載が決まりました。すごいスピード感です。正直どんなサークルなのかも存じていないのですが、きっと良いところです。

寄稿作品は「宇宙船は涙を流せない」というちょっとしたSFです。宇宙船が出ているからSFなのです。

 

 

ということで、上記の案内図に示した4サークルに立ち寄るのはもちろんのこと、休日に御嶽山駅に行き、雲鳴遊乃実作品をコンプリートしましょう。

 

 

4.今後の予定

5月の文フリ東京以降の出店予定状況は次の通りです。

5/18 HUB a NICE D! #3 ……「火竜」のみ持ち寄ります。

9/9 第6回文学フリマ大阪 ……「拡張現実試論」の初頒布

11/25 第29回文学フリマ東京 ……新刊は今のところ未定

5月後半から8月いっぱいを明けてあるのは「拡張現実試論」の推敲作業のためですが、良さそうなイベントがあったら寄るかも知れません。ほんとうは静岡文学マルシェにも行きたかった……

次回のテキレボが秋頃にあるという噂なのですが、お仕事の状況次第です。

停止している公募作品への取り組みもさすがに夏には再開したいところですし(理想としては過去作の推敲を重ね、力をつけて長編をどーんと書く)、イベント参加はこれくらいかな。

余力があればコミティアに行ってみたいですね。お仕事さんもう少し容赦してください。

 

5.最後に

今回の文フリ以降も、寄稿や下読みの依頼は概ね受け付けます。

主として自分の鍛錬のためなのですが、期待に添えるような作品を書くこと、批評をすることが大前提だと思っています。

いろんな人と関わって本を作るというのも結構楽しいんですよね。

あそこであんな寄稿募集やってるよ、的な情報も大歓迎です。

 

はてさて、文フリ東京、私が初めて訪れたのが第17回だったと思うので、もう5年以上ですか。

あの頃は学生だったのですが、ここまで長いお付き合いになるとは思いませんでした。

そもそも自分が書くようになるとも思っていませんでしたしね。

 

今回の文フリ東京では、現時点で最もストレートに気持ちをぶつけた「火竜」を頒布できることが今は楽しみでしかたありません。

私の書いた作品が誰かに手に取ってもらえる、そんな楽しみを味わえる貴重な場をこれからも大事にしていきたいです。

 

それでは今後とも、よろしくお願いします。

【エッセイ】jazzの興り

大学四年生のときに、友達からの誘いで他学部の授業に潜り込んだことがあった。

講義のテーマはアメリカ音楽。特にジャズとロックの話だった。

 

僕は音楽が不得手で、知識もなかった。

それでも興味が湧いたのは、大学時代を通してロック好きの友人がいたり、話を聞いたりして、何やら不思議な魅力があるらしいぐらいのことは感じていたからだろう。

降って湧いてきたきっかけに、就職活動も終わっていた気楽さも手伝って、僕は友人の誘いに乗った。

 

授業の初めに毎回出席を取っていたので、おそらく僕らが他学部だということはバレていたに違いない。

それでも何も言われずに聞いていられたのは、運が良かったのか、講師の方の気まぐれだったのか。

 

講義の内容は、ジャズからロックに至るまでの歴史の話だった。

途中途中で音楽試聴を挟み、本当に楽しげに話す講師の姿が印象的だった。

楽しいと言っておきながらあれだけど、友人は三回ほどで来なくなり、私も終わりの方はサボってしまい、流れ作業のように、僕は大学を卒業した。

 

社会人になりたてだったころ、仕事上がりに書店に寄ると、たまたまジャズの特集が売られていた。

例の授業を思い出していた僕は、その雑誌を買って読み耽った。隔週発刊だったので、購読予約をし、一つ一つ買いためていった。

その雑誌の購読も、書店の閉店とともに立ち消えになった。

今は、当時仕込んだジャズの知識や、話を見たり音楽を聴いてえた印象を後生大事に抱え込んでいる。

知識はアップデートされていない。おそらくは浅薄なところで止まっている。

だけど、受けた鮮烈さは未だに脳裏に残っている。

 

当時、僕はとある投稿サイトに自分のジャズへの思いを書き殴ったことがあった。

思うに、今までの人生で一番奔放に書いた文章で、読み返すと結構恥ずかしい。

それでいて、勢いの良さが気に入っている。

 

今日は、そのときの僕が抱いていた思いを、少しだけ蘇らせてみたいと思う。

 

黒人の本能的リズム感と西洋音楽の融合がジャズを生んだ、というのがジャズの興りだと基本的には説明される。

 

黒人というのは奴隷のことだ。

アフリカからの移民である彼らはアメリカ南部に連れられた。農場や工場で汗みずくで働きながら、彼らは掛け声を上げ続けた。

本能の赴くままに誰かが歌い、誰かが合いの手を入れる。

そのようにして身体に活力を漲らせる。

頭の中は音楽で満たされ、嫌なことは忘れて、とにかく動かしていった。

 

少し脱線するけれど、人はどうして歌うのか、考えたことはあるだろうか。

クジラやイルカも歌うというし、気持ち良さげに唸る犬や猫も、歌っていると言えなくもない。

発声機関のない生物は、身をくねらせて音を出す。

とにもかくにも、何かの気持ちの上がりがあると、理性を離れて身体が動く。

音が出る。気持ちよい音が連なって、理論以前の音楽が成り立った。

何も調べずに書いてみたが、存外違わないのではないだろうか。

 

西洋で育った音楽と、アフリカ移民の口ずさんだワーカーソング(労働歌)は、毛色が違っていた。

僕のざっくりした解釈によると、西洋の音楽が想定する音階と、アフリカ移民たちのそれは、ある箇所で半音ズレるらしい。

階段で喩えると、調子よく一段ずつだと思っていた階段が突然飛び出したり、引っ込んだりするという。

西洋の音楽を期待していた人たちは、アフリカ移民たちの耳慣れないリズムに驚き、ついで面白がった。

その音階はやがて「ブルー・ノート」と呼ばれることにある。

どことなく憂鬱な印象を受ける、アフリカ移民の本能的音階だ。

 

アメリカに住む西洋人は、このブルー・ノートを面白がったが、世間一般には差別の色が濃く、表だった舞台には出せなかった。

時は1920年代。この時期、黒人たちとはまた別の意味で表舞台に出られなくなったものがある。

酒だ。

1920年に施行された禁酒法は、表の街から人々の娯楽を奪った。

もっとも、この法律は人目に触れなければいいというもので、多くの酒場は地下へと移動した。

日の当たらない暗闇の中で、酒を飲み、酔いが回る。

理性を失った人々は本能を煽る音楽を欲した。

黒人ミュージシャンを呼び、言いつけるわけだ。酒に似合う音楽で、とにかく場を盛り上げろと。

 

同時期、世間にはラジオが登場した。

電波の届く範囲なら、どこへでも音楽は届けられる。

蓄音機の発明もこの動きに拍車を掛けて、レコード産業が発達し、ジャズへと目をつけた。

この時代は「ジャズ・エイジ」と呼ばれる。

1920年代から、世界恐慌の終わるまで、ジャズは急速に白人社会に受け容れられていった。

 

とはいえ、このときに誕生したジャズは、あくまでもBGMだった。

難しい技法も、テーマ性もいらない。

場を盛り上げるためのジャズこそが好まれた。

難しいことや知識は、本能に反する。

高度な技術で場を白けさせることは、ミュージシャンには許されていなかった。

 

盛り上がるためには、音は大きい方がいい。

はたしてそれだけが理由ではないだろうが、ジャズの編成は徐々に大型化していった。

いわゆるビッグ・バンド・スタイルだ。

おそらくジャズと聞いて、このスタイルをイメージする人もいるのだろう。

とにかく垢抜けていて盛り上がる、大衆向けのジャズ。

それでも良かったのかもしれない

。人々に好かれるための音楽のままでいることも可能だった。

そして、歴史の示す矢印は、偶然、その向きを反対に変えた。

 

当時を代表するジャズ・ミュージシャンとして、デューク・エリントンを挙げておく。

彼が作曲した「A列車に行こう」は、僕の記憶では音楽の教科書に載っていたし、実際多くの人が聞き覚えがあるのではないだろうか。

同時にこのA列車が繁華街へ行く地下鉄だと知っている人はあまりいないのかもしれない。

 

デューク・エリントンの”デューク”は「公爵」を意味する。

ニックネームで、幼少期からいつでも紳士然としていた彼の態度から名付けられたという。

黒人ではあったが、彼は白人社会の中で毅然と振る舞い、ピアニストとしてデビューすると、二度の世界大戦を生き抜いて数々の名作を編みだしていった。

 

そのデューク・エリントンは、ジャズという呼び名を好まなかったという。

自分の音楽に誇りがあったからだ。

ミュージシャンとして自分が演奏する音楽が、ただの娯楽では終わって欲しくなかったのである。

 

BGMにすぎないと思われていた音楽が、世間の固定観念の壁を突破するにはどうするか。

聞き流しは許してはいけない。

その場にいる誰もが耳を向け、目を釘付けにし、流れている音楽が芸術作品であると認識するには、どうすればいいのか。

 

結果は、頭だけで考えては生まれてこなかっただろう。

その始まりと同じように、おそらくは本能的に。

ジャズミュージシャンたちは文字通り、立ち上がった。

 

ビッグ・バンドの音を抑えて、まずは注目を集める。

痺れるような緊張感のただ中で、西洋生まれの楽器を巧みに操り、思うまま、気の向くままに吹き鳴らす。

 

即興。

 

五線譜では追いきれない速度と予定に縛られない自由な変化で、jazzはこの世に高らかに産声を上げたのだ。