長野旅行
二泊三日で長野を旅行してきたので、そのことをここに書き留める。
時折話していることだが、社会人になってから、毎年夏に県外に旅行をしている。
行くたびに記事にしていたのをいつからかやらなくなった。そしてまたやりたくなったから書いてみる。
長野を選んだ理由は特にない。
どこに行くかも7月半ばくらいまで決まっていなかった。
いつだったか池袋に行く用事があり、書店で旅行雑誌を眺め、パッと手に取ったのが長野だった。
上田市あたりの情報を見ていたと思う。
真田丸は見ていたし、細田守のサマーウォーズも見ていたし、なんとかなるかと思った。
なお、後述するが上田市には結局行かなかった。
拠点は軽井沢に決めた。
理由は単純で、涼しそうだからだ。
実際、日差しはキツかったが、木陰に入れば和らいだ。山から風が吹きおろされてくるので気持ちよかった。
1日目、僕は碓氷峠を目指した。
旧軽井沢を抜けた先にある、長野と群馬の境目だ。
徒歩にして1時間程度。遊歩道があり、ちょっとしたハイキングになる予定だったが、僕は遊歩道に全く気付かず、公道の脇をひいひい歩いた。
写真は見晴台からの群馬側への景色。
時間は10時そこらだったのだけど、山々の遠くに霞む様は圧巻で、美しかった。
峠のそばの食事処で信州そばに触れた。
入っているのは力餅で、金太郎が食べたのだとか由来が書いてあった。小さいながら噛み応えがあり、美味かった。
峠には熊野神社というのがあった。群馬と長野の県境、敷地もほぼ二分されていた。
樹齢千年。周囲を巡れば願いが叶うらしい。
なんか面白いアイデアくれ、と願っておいた。
帰路について、軽井沢をめぐる。
途中、丹念亭という喫茶店で珈琲を喫む。時間潰しにと託されたパズルが難しく、三時間粘ったがダメだった。また来た時にどうぞと言われたのが少し嬉しかった。いつになるかはわからないが。
僕は旅の途中、京極夏彦の百鬼夜行シリーズをもちよる習慣がある。
習慣といいつつ、初めてまだ2年目だ。
旅行は一年に一度と決めているので、つまりまだ2回目である。
意識してなかったのだが、1回目、2回目と続いていた。
文庫本にして1000ページ。なかなか異様な見た目である。
いろんな場所で読んだが、怪しまれることはひとまずなかった。安心だ。
2日目。
疲れがたまっていたのと、長野の他の地域の気温が猛暑だとわかり、上田市巡りを諦めた。
温泉に浸かりたくなり、調べると、軽井沢から草津まで直行バスで70分だとわかった。
朝の7時に決めて、1時間後にはバスに乗っていた。
ついでに旧三笠ホテルなどを見られて良かった。中に入らずとも、眺めるだけで良かったのだ。
草津温泉までは案外乗客は少なく、僕を除けば、白糸の滝で乗車して来た異国の方1人だった。
白糸の滝は軽井沢の外れにあるヒーリングスポットらしい。
降りる人も多く、今の時期だと賑わいが特にすごそうだった。
草津温泉は、湯畑という厳選の貯留地周辺に施設が集中している。
写真は湯畑の一部、端っこの一角だ。
硫黄の匂いが立ち込めていた。気温はまあまあ。軽井沢より涼しいが、陽の光が厳しかった。
白旗の湯という施設に入る。600円。安い。タオルは買ったが、それでも千円もしなかった。
湯の後は、二階の大広間で草津の街を眺めつつ、休んだ。手には魍魎の匣、この時点で600ページくらい進んでいた。
読みやすいのだ。普通はこうは行かない。
草津温泉から帰り、明日着るものがなかったのでアウトレットを漁る。
こちらは広すぎた。選択肢が多すぎ、結局は無難なTシャツにした、あとは雑貨屋を冷やかし、帰ることにした。
その日の夜、僕は魍魎の匣を読み終えた。
とても満足のいく、奇抜ながら芯の通った物語になっていた、
来年は何を読もう。
金と時間があれば今年中でもいいのだが。
3日目。
軽井沢を出る。
最後なので撮影。
一生に一度は善光寺、と旅の本に書いてあった。
そういうワードには弱い。最終日にあるいて寺を目指した。
長野駅から20分ほど。相変わらず日差しは強い。この旅行中に仕入れた塩タブレットを摘みながら進んでいった。
善光寺は仏教寺社としてかなり初期のものであり、仏教宗派が分化する前の建築物らしい。撮影は禁止。
よくわからないまま中へ入り、地下へと案内された。お戒壇巡り。何かと思えば、真っ暗闇の回廊巡りだ。流石に動揺した。本当の暗闇はまことに心細いものだ。光の一切通らない回廊を手探りで進む。やがて壁に備えられた錠に手を触れる。そこはどうやら極楽に通じているらしく、これで来世での安寧が約束されたらしい。その後も暗闇の中を道なりに進んで、階上へと出る。境内は賑わいを見せていた。
やりたいことはやった。あとは新幹線に乗り、帰り道。
途中で軽井沢高原ビールを買う。本当はソーセージとかも買いたかった。車内で飲み食いするほかなく、そんなことをする勇気はなかった。帰宅して、ちょっとずつ煽った。
酒はやっぱり苦手でした。
奇談収集家ミスター六軒について
21世紀が始まったばかりの頃、実家にパソコンがやって来た。どういう経緯だったのかはわからないが、これから必要になるものだからと、両親のどちらかが工面してくれたのだと思われる。僕は小学生の半ばで、将来のことなど微塵も考えられず、パソコンはゲームの公式サイトを眺めるのに使う程度だった。
web小説をいつから読むようになったのか、どうして読むようになったのか、今となっては思い出せない。家に小説はなかったのだけど、物語を楽しむことは好きだった。動画サイトはまだ出てきていなかったし、パソコンの設置場所が居間だったのであまり派手なのは憚られた。そのあたりの事情で、当時できたばかりだった「小説家になろう」や「ライトノベル作法研究所」に入り浸っていた。
そのうち他の小説はないものかと、ネットサーフィンを繰り返して、タイトルにもある「奇談収集家ミスター六軒」というサイトを発見した。オリジナルの創作小説を発表している個人サイトだった。
気楽に読めるギャグテイストの話から、胸を締め付けられるような苦しさのある話。ミスター六軒に設置されていた小説は、いずれにしても、人間の性質をえぐり出すような作風だった。
僕はのめりこんで、何度も読み返した。最終更新日は僕が閲覧する一年ほど前で止まっていたのだが、続きが来るものだと信じて、二年ほど毎日確認したが、音沙汰なかった。タイミングが悪かったのだと嘆きつつ、その後もしばらくは作品を読んだ。高校生になって、勉強に忙しくなり、パソコンを調べ物以外では触らなくなる頃までは。
それから十五年、僕は自分で小説を書くようになった。
「ミスター六軒」の影響は大きい。最初の頃は、このサイトに載っていた作品とどこか似通った作品が多かったように思われる。不思議なことが起きて、人間がどうしようもなくて、それでも諦め切れない話。
「ミスター六軒」のような作品を書きたいと、しばらくは想い続けていた。
こんなことを書きたいと思ったのはほかでもない、ミスター六軒のkindle版が発売されているのを知ったからだ。
およそ二年前、作者様は活動を再開された。サイトを確認したら一新されており、今後はkindleでの販売に注力するとの旨が通知されていた。
存命だった――失礼ながらまずそう思った。僕の中では、すでに小説から遠ざかっているものだとばかり思っていた。命に関わらなくても、一度離れた人が再び戻ってくることは考えにくく、だからこそサイトを見るのもやめてしまっていた。
嬉しいなあ。
kindle版では第二巻まで発売されており、これから順次第三巻、第四巻、第五巻と発売される構想となっているらしい。
まだ続きが読める、その嬉しさに居ても経ってもいられなくなり、僕にしては珍しいこのストレートな心情をここに書き留めておく所存である。