【感想】笹の舟で海をわたる(角田光代)
新居を探す二人の女性。年齢はどちらも六十代。若干入り組んだ関係性を仄めかせながら、不動産会社の勧めた物件についてありかなしかを話している。
家族小説なんだろうと、冒頭部を眺め、気が向いたら買おうと思ったのが今年の初めの頃だった。創作のために本は読みたいと思いつつ時間もないので冒頭部だけをどんどん読んでみよう、というマイブームの中で手に取った一冊だった。
主人公は自分よりずっと上の世代だし、自分には縁遠そうなテーマなんじゃないかと思っていたのだが、三連休の一日を読書に費やしても罰は当らないだろうと思い立ち、読み進めた。
主人公左織の物件探しは保留のまま、物語は二人の女性の出会いに遡る。佐織の妹の風美子は、血が繋がっていない。左織の夫と風美子の夫が兄弟なのだが、それ以前に風美子は左織のことを知っていた。疎開先でいじめられていた風美子のことを左織が助けてくれたのだという。だが左織自身にはその記憶はなかった。疎開時代を思い出したくない過去だとして封印したかった左織は、自分との関係が全く思い出せない風美子と、ぎこちなさを感じながら交友を深めていく。
風美子という謎の女性。彼女の正体について、主人公の焦りと不安が、この物語の核となる。時折滲み出るサスペンスのような雰囲気のおかげで、この物語をただの家族小説とは一線を画すことになったと思う。
夫の義姉、義妹という関係になった二人。左織は自分の家庭を育みつつ、その傍にいつも風美子がいることに苛立ちを感じる。だが、長女百々子の理由の判らない反抗を筆頭に、風美子がいないとまともに家庭を築けないのではないかという不安を抱く。
左織の不安は過去を思い出せないことにある。過去、もしかしたら自分は風美子をいじめていたのではないか。風美子が自分の生活に侵入してくる理由は自分の過去にあるのではないか。風美子への疑惑は、そのまま真っ直ぐ自分自身への疑惑であることに左織は気づかない。
平凡な生活を幸せなことだと信じていた左織は、自分の生活がどうしようもなく空虚になっていくことを察する。当初は気持ちを高揚させるものだった社会の変化も、段々と左織にとって理解不能のものとなってくる。自由かつ個人主義的な世界の潮流に自分一人が取り残されている感覚。それでも自分は間違っていないという確信。主人公の違和感は、戦争そのものを忌避し、あったことさえ忘れてしまい、飽食と浮かれ騒ぎに掻き乱される社会へも向けられる。
疎開先での最悪の記憶を忘れていた左織、戦争時の飢餓や苦痛を忘れた日本という国。個人と社会の対比構造もまた上手い。
加えて、左織の場合には風美子という存在がいた。彼女は左織にとってみれば、忘れてしまいたかった罪の意識の根源だった。
戦争時の体験をバネに、世界の時流にのり、どんどん強くなっていく風美子。一方の左織は意図せずともかつての家社会に固執し、新しい価値観で生きる子どもたちとの乖離に苦しむ。
誰しも人に見せない世界観を持っている。このテーマは、以前同著者の『空中庭園』を読んだときにもはっきり感じたのだが、この物語はまさに『空中庭園』以前から始まり、そしてその後をも描いていると言える。
物語も半ばに差し掛かれば、主人公の行動にもある種の偏見が感じられる。物語の舞台は平成初期だが、平成が終わる今の時代において、主人公の考え方は確実に旧世代のものであり、むしろ敵意をもって見られてしまうに違いない。かつてはその考え方が主流であったことを、僕たちはもう忘れてしまっているのだから。
読み終わってしまえば、縁遠いテーマなんてとんでもない。今を生きている日本人全員がこの物語の範疇に入ってくる。いくらいやだと叫んでも、笹の舟は海を目指していくのでした。
【感想】『先生とそのお布団』(石川博品)
以前、ライトノベル作家のアンソロジーの中で石川博品さんの作品をお見かけしたことがあり、ここでも記事を書いたことがある。
その流れで数年ぶりに書店のラノベコーナーに足を運び、この作品を見つけるに至った。以前読んだ作品と同じように、こちらもカクヨムに連載された作品であるらしかった。
一番印象に残ったのは、比較的早い段階に登場する校正の場面だ。
一息に書いてしまってから読みかえす。
三行目、ここでの行為の主体が「さくらと瑠莉」であることは明らかで、わざわざ書く必要はない。「ふたり」に変更する。
四行目、「砂浜」が次の行と重なってくどいので全カット。
そのかわりに五行目をすこしひっかかりのある文にして読むスピードを落とし、その落差によって場面転換を強調する。「夜の砂浜は月のひかりに白々と冷えていた」とあらためる。
彼は文章の書き方を誰かに習ったわけでもない。ただことば自身が要求するとおりに並べていく。ごくまれに、ことばを出しぬくような文章が生まれるときがある。そういうときにはしてやったりと机の前でひとりほくそえむのだった。
僭越ながら思うまま言わせてもらえば、石川博品さんはラノベ作家としては変わり者だと思う。
この作品にしても、主人公は三〇代半ばのライトノベル作家だし、登場人物の中に青少年は皆無。
内容にしても、冒険も学園もミステリや凝った工夫もなく、繊細な心理描写すらない。
淡々とすすむじり貧の生活と、狭間に差し込まれるじわじわとした焦り、素っ気ない社会の中で唯一真っ当に意見を述べてくれる猫との交流。
物語そのものとは別のところでいたたまれない気持ちになってしまった。
ただ、文章はとても整っている。
先の校正の場面でさえ、僕からしてみたらとても丁寧に見えた。
元の文章はもっと長く、読み手の心情を考えた文章の組み立て方が垣間見える。
全編通してみても、考えられた言葉運びであることが伝わってきて、素直に感心してしまった。
ここまで考えて書くんだなと、言ってしまえば偉そうだけど、率直に尊敬する。
自分にここまでできるだろうかと同時に考えてしまう。
文章を書くことを僕はどこまで好きになれるんだろう。
そんなことを考えさせられる、優しいお話でした。