雲に鳴く。

趣味の小説書き、雲鳴遊乃実のブログです。個人サークル『鳴草庵』

コンセプトについて

初めて即売会に参加したとき、最も苦労したのは、自作の説明を求められたときだった。

そのときに頒布していたのは、ネットで公開していた作品のうち出来の良さそうなものを寄せ集めた短編集だった。なおさら、どんな作品かと聞かれて、一言で答えるのは難しかった。

作品を手に取りこそすれ、しばらく読み、棚に戻す。軽く会釈して去って行く。同じ事が数回あったので、良く憶えている。改善せにゃならんなあ。

 

その本のコンセプトは何なのか。一言でいいから説明できるようになりたかった。

ところでコンセプトと似た言葉にテーマがある。似ているというよりも、違いがわかりにくい。というかわからなかった。そこでインターネットで検索してみるとますますどつぼに嵌まっていった。僕が観た中では、テーマはあらゆる要素の抽象化で、コンセプトはもう少し広い目標・方策といった捉え方が一番わかりやすかった。

例えば説明を求められてテーマを答えるのは、短文ですむのは楽けれど、結局は詳しい説明を求められることになるだろう。その説明にあたるものがコンセプトだと考えられる。要するに、僕が目指すべきはこのコンセプトを考えることだと思い至った。

 

そこで試しにコンセプトを書いてみたのだが、うまくはいかない。一応据え置いてみても後々に変わってくるし、執筆当初に想定できることはとても少ない。仮置きのコンセプトは簡単に上書きされていく。これもまた、書いてみてからわかるものなのかな、と思ってみたりする。

だがこれでは目標は達成できない。僕は説明できるようになりたかった。説明すべき事柄が、思考を超えたところにあっては、いつまでたっても説明できない。

だから今でも、無理矢理にでもひとまずコンセプトは作っている。紙に書くときもあれば、なんとなく想定することもあるけれど、当初のコンセプトからズレすぎたら、面白みのある文章も削るようにした。

成長したかどうかはわからない。随分と不器用になったとは思う。思えば最初のうちはのびのび書いていた。人に紙の本にして人に見せることを意識してから、自分を変えた方がいいと思うようになった。

 

だからもしも自分の作品が、本当に自分の心を満足させるためだけにあるというならば、これらの行為は必要ないのかもしれない。

裏を返せば僕は自分の作品を人に見せたいと思うようになっている。

いいか悪いか、単純に決めるのは難しい。自分のことなので。

ただ一つ言うならば、即売会に出るようになってから、推敲の時間を想定するようになった。推敲していない文章のまま表にでることがひどく悲しいことのように感じられた。それくらいのことは、成長したと思いたい。

 

『ネットは基本、クソメディア』(中川淳一郎/角川新書)

 出張の合間に、直截なタイトルに釣られて買った。

 黎明期のネットメディアからキュレーションサイト問題、昨今の情勢を踏まえた説明がなされていて、情報量も多く、実際の経験談も多数交えている。タイトルからもわかるとおりクソって言いまくっててなんだか幼稚なイメージがあったけど、内容についてはすこぶる面白かったです。

 別にクソって言っても面白ければ問題ないのだけれど、強い言葉や汚い言葉を使って目を引くのはこの本の中で紹介されているクソメディア、クソキュレーションサイトの常套手段なので、わざわざそれを使う著者の意図はやはりわかりません。目を引くこと? それがダメって話だったじゃん……僕は釣られたわけだけど。

 自分の場合、インターネットを日常的に閲覧するようになったのは2000年代半ば頃からだったので、メディア関係の変遷をおぼろげながらに憶えているのがなおさら良かったのかもしれない。

 本の中では実際に足を運んで情報を得ることの大切さが説かれている。だからこの本で「これが真相だ」と書かれていることも本当は自分で足を運んで確認するべきなのかもしれない。それができないのでメディアを頼る。情報を精査する。盲信はしないこと。