第二十四回文学フリマ東京に参加します。
5月7日に開催される第二十四回文学フリマ東京に参加します。
ブース番号はD-25です。サークル名は鳴草庵。
今回は、まだまだ在庫に余裕のある『From AI to U』と新刊『時をかける俺以外』の二冊を携えます。
ジャンルはどちらもSFとしていますが堅苦しいことは全然ないので気軽に手にとっていただければと思います。
以下、あらすじ
From AI to U
「人はどうして絵に感動するのでしょうか。私はそれが知りたいです」
戦争が終わって十七年。世界の半分が荒野に変わった日々も次第に薄れ、戦時下の最重要技術と謳われていた人造人間(ヒューマノイド)も近いうちに民間転用が解禁されるのでは、と噂されている。
画家、咲良竜水はある夜見知らぬ少女と出会う。 「この子を育ててやってくれ」 指し示されたその子の腕は、人のものとは思えないほど冷たかった。
※小説投稿サイト「Taskey」にて掲載したお話に手直しを加え、最後まで書き通しました。
著:雲鳴遊乃実
イラスト:雨森柚季
時をかける俺以外
「お前らさ、タイムリープしてね?」
親友を失ったトラウマから逃れようと自殺に惹かれる少年、陸田登臣。思い通りにいかない毎日を送っている最中、未来人を名乗る男と遭遇する。男は言った。陸田のもう一人の友人朝来灯香が時をかける能力を駆使して自殺を何度もなかったことにしている、と。
「話して考える(シンク・トーク)」と「書いて考える(シンク・ライト)」 (集英社文庫)
私は『「新しい人」の方へ』のエッセイのひとつに、「本をゆっくり読む法」ということを書いています。そこで私は、最初に出した『「自分の木」の下で』につないで、こう書きました。《どうしても難しく、読み続けられない時は、もう少したってから、あらためて読む本の箱に入れておくといい。そして、時どきトライしてみることです。》
(p130 子供らに話したことを、もう一度 3 より)
『「新しい人の方へ』、『「自分の木」の下で』はともに大江健三郎のエッセイ集です。
スタイロンは、自分はこれまで書いた小説を無意識の研究に使う気はない、それは文学研究家の仕事だ、といいながら、気がついてみると、自分は精神的な窮地におちいって死にいたる女性、というような人物を幾度も書いてきた、と正直な驚きを告白するところがあります。
(p235 暗闇を見えるものとする 3 より)
《私はこれから話し言葉化に巻き込まれるすべてを会話主義と呼びたいが、それが書かれた言説の一般的なスタイルと実質を侵すにいたっているのである。会話のかたちの断片的かつ並列的名性質が一般に現在の文化条件の特性となっている。座談会に出ることに慣れた人間は、書く時も同じようなやり方で考える。日本語の書き方のスタイルは、最近、根本的な変化をこうむりつつあり、その変化が原因であるにせよ、結果であるにせよ、会話主義は支配的なモードなのである。書き手は確かな証拠で支えるための努力をあまりしないまま主張を繰りひろげていいと考えている。会話においてのように、しみ通ってゆく同意と支持を当然だと思う。もし反対と面と向えば、かれらはつねに弁明して忘れることができる。》
(p257 タスマニア・ウルフは恐くない? 3 より)
エドワード・W・サイードの著作『文化と帝国主義』(一九九三年)のうち、日系アメリカ人の知識人マサオ・ミヨシの記述からの引用
文学のテクストのみならず、あらゆるテクストに「文体」というものがあります。そしてそれは、当のテクストを書いている人が、どういう時に、どういう気持ちで、どういう読み手に向けて書いているか、を示します。そしてその上で、書かれている内容よりももっとはっきりと、どういう人間が書いているか、を表現してしまうものなんです。
(p304 講演集を文庫版にするに当っての、しめくくり より)